池澤夏樹個人編集 世界文学全集 短編コレクションⅠ読了2016年06月06日 22:43

池澤夏樹個人編集 世界文学全集 短編コレクションⅠを読了

南部高速鉄道
人は、どんな状況でも、社会を作り、人間関係を作り、日常を作り、暮らしを作る。それがどんなにもろく崩れ去っていくものであろうとも。そして、望ましくない状況で生まれた社会であっても、それがいったん生まれれば、それを持続しようとしてしまう。あるいは、持続するものだと考えたくなってしまう。これは社会を生み出す人間の強靭さと、生み出す社会のはかなさとの物語。

波との生活
 困った押しかけ女房は、魅力的であればあるほど問題だ。押しかけられて、ひどい目に遭いながらも、別れることができない。しかし、そういう蜜月も、いつかは崩壊し、寒々とした現実が襲ってくる。ファンタジーは現実に侵食され、崩壊していく。

白痴が先
 なんとも不条理な話だ。旅の行く先については何の保証もない。それでも父は子を列車に乗せようとする。それを阻止するのは一体何者なのか。

タルバ
 病人を助けるために、奇跡にすがる。万に一つの望みにかけて。だが、奇跡はめったに起きないからこそ奇跡だ。奇跡の影に、どれほどの起こるべくして起こる悲劇があったのだろうか。

色、戒
 凝縮されたサスペンス。現代サスペンスの要素はすべて揃っているが、それをわずか数時間の出来事と、シンプルな回想とで綴ると、これほど密度の濃い作品になる。映像化もされているが、この原作が解凍されると、本当に膨大なストーリーが生み出されてくるに違いない。

肉の家
 タブーが厳しければ厳しいほど、それに抑圧される人の欲望や本能はより先鋭に、より過激に、そしてより破滅的になる。家族がみな、お互いにタブーを犯しながら、それに触れないことで暮らし続ける、そんな息の詰まるような家。もはやそこからは家族の誰も出ることができない。あるのは沈黙だけ。

小さな黒い箱
 P.K.ディック。もうそれだけで世界が浮かび上がる。人間が管理され、監視され、支配され、個人の自由など奪われた世界。そんな世界の中で、僅かな自由を求め、かすかな望みをつなぎながら生きる人々。これはSFなのか、それとも現実なのか。

呪い卵
 現代でも、神話と現実との教会が定かでない世界は存在する。そこには西洋近代と称する世界の因果律や時間の流れは通用しない。しかしそれでも、世界は実存し、存在は否定できない。そんな世界を垣間見ることができる。

朴達の裁判
 なんともユーモラスな、しかし、プロレタリア文学のような作品。水と油のような笑いと労働運動が、渾然一体となって立ち上がってくる。その立役者は労働運動の英雄にして、市井の一風変わったアウトロー、朴達である。重くないプロレタリア文学とでも言おうか。

夜の海の旅
 主人公が何者なのか、これがわかれば、全体がユーモアに包まれる。しかし、我々も何のために生きているのかと問われれば、はたと困ってしまうだろう。それはもしかしたら、本当に生き物のさだめなのかもしれないと、この作品を読むと思ってしまう。

ジョーカー最大の勝利
 バットマンである。しかし、ここに登場するバットマンやジョーカーは、決してティム・バートン以降のものではない。それ以前のTVシリーズのバットマンだ。かつてWOWOWで田口トモロヲが吹き替えたハチャメチャなTVシリーズのバットマンが放送されていたが、まさにあのノリである。このようなヒーローを賛美する人々を、いまだに「巨人の星」を地で行くスポーツ育成から脱却できない我々は、笑うことができない。

レシタティフ――叙唱
 黒人差別、女性差別、貧富の差、それを大上段に振り飾るのではなく、孤児院で出会い、その後の人生でも偶然に再開する二人の女性のやりとりを通じて描き出す。登場人物の人種がわからないまま進んでいくストーリーは、われわれ日本人にはむしろ新鮮かもしれない。

サン・フランシスコYMCA賛歌
 家の中の鉛管類をすべて詩に置き換える、今風に言えば詩オタク。いくら詩が好きでも、これではたまるまい。案の定のドタバタ騒ぎ。

ラムレの証言
 内戦と紛争の世界。砂と太陽と汗と地と死。これは50年前の作品。当然背景となる政治状況も現代とは違う。しかし、戦争に何の変わりもない。人が代わり、軍が代わり、国が変わり、イデオロギーが変わっても、弱いものを傷つけ、殺し、苦しめるのが戦争の本質だ。いや、戦いすべての本質と言っていい。国を変え、人を変え、軍を変え、イデオロギーを変えれば、これはいま現在の作品となる。

冬の犬
 子どものわずか半日の冒険。命がけの冒険。そして、生き延びてきた冒険。誰も知らない冒険。誰にも話してはいけない冒険。そして、大切な、命がけの冒険を共にした相棒との別れ。幼年期の終わりとして、王道を行く作品。

ささやかだけど、役にたつこと
 辛い話である。そして、少々ホラー風味でもある。読者はネタがわかっているが、登場人物にはそれに気づくゆとりがない。それがサスペンスになっている。そしてラストは、なんともしみじみとした、いい話になる。この落差が実にいい。人は温かい食べ物にどれほど癒やされることか。

ダンシング・ガールズ
 あの隣人は、一体何だったのだろう。理想を追う主人公、おせっかいでろくでなしなのに、それに気づく知力もない家主、そしてなんとも不思議な隣人。夢は夢のまま、現実は味気なく、それでもどこかに夢をこっそり忍ばせて。


 文化大革命が中国にどれほどの悲劇を産んだのか、われわれはあまり実感を持ってはいない。だが、この作品に描かれた悲劇は、かなりの数に上っていたのだろう。極端な潔癖主義が生み出す恐怖政治。その犠牲となるのは、やはり市井の人々である。死別した母への屈折した心理が切ない。

猫の首を刎ねる
 イスラム文化と西洋文化。主人公は2つの文化の中に生き、二つの文化を具現する2人の女性キャラクターの間で揺れ動く。男として都合のいい女に惹かれつつ、自立した対等な女にも惹かれ、選びきれないまま悩む主人公のアダ名は「ハムレット」。バンジージャンプが暗喩として効いている。

面影と連れて
 1人の女性のひとり語り。戦後の沖縄(海洋博あたりまで)を舞台とし、伝統的な神と共存した社会と現代社会との狭間で生きた女性の、淡々とした回想。彼女の生涯は「悲劇」なのだろうが、どこかそれを達観し、受け入れて、負けずにそこにある、たおやかな強さを感じる。ラストのどんでん返しは悲惨でもあり、また救いでもある。

 足掛け3年にわたって読み続けた池澤夏樹個人編集・世界文学全集
も、とうとう残り1冊となった。名残惜しいような気がする。