見たい、読みたい、聞きたい2016年08月18日 22:01

 見たい映画を録りだめしていたら、いつの間にかBDは1000枚を超えてしまった。

 買いそびれるとすぐに品切れ・絶版になるからと思って本を買うと、気がつけば積ん読の柱が何本も。

 いま手に入れないと廃盤になるとおもって買い込んだCDも、気がつけば山となっている。

 残りの人生を、平均寿命から考えて割り出してみると、これらの溜め込んだデータを楽しむだけの時間が遺されているとは思えない。まさに無駄。こういうのを捨てるのが断捨離というやつなのだろう。それを通じて本当に大切なものを探り当てるというのも、わからなくもない。

 だが、断捨離も一種の合理化と考えると、ふとそれでいいのかとも思う。望みのない欲望でも、未来を志向した欲望である限り、希望となりうるのではないか。

 悟りを開いて、ほんとうに大切なエッセンスを知るのもすばらしいことだが、そうやって美しく枯れていくのか、地を這うようにのたうち回りながらも、届かぬと知りつつ諦めずに希望を追い求めるものまたすばらしいのではないだろうか。

 そんなことを考えて、ものの山に埋もれる生活を正当化してみる。