勝負は時の運2016年08月19日 22:39

 何かの本で「戦争は、自分だけではできない。相手がいない限り発生しない」と言う話を読んだ。スポーツも一部を除けば同じだ。相手がいないと成立しない競技のほうが多い。

 相手がいる以上、自分の思い通りには必ずしも運ばない。勝負は時の運である。必ず勝てるわけでもないし、必ず負けるわけでもない。練習段階はともかく、前もって勝負がわかっているのなら、競技などする必要はない。

 結果のわからない戦いに望み、勝利を求めて死力を尽くすからこそ、スポーツになるのだろう。だが、結果を事前に求めたいがために、人は様々なあがきを見せる。悪意あるドーピング然り、情報合戦や心理戦略然り。純粋に遊びのスポーツには不必要というより、無駄なあがきが何と多いことか。

 遊びだからこそ、敗者に対する賞賛や、勝者に対する尊敬が発生する。国や金が絡むと、敗者に対する嫌悪と軽蔑、勝者に対する憎悪と服従が生まれる。だが、国や金は競技する本人とは、たいてい別のところにある。

 優勝候補でありながら、優勝できなかったことを悔やみ続ける選手の姿を見ると、我々は選手から何を奪い、何を貪ってきたのかを思い知らさせる。せめてもの救いは、「ありがとう、お疲れさま」という感謝と尊敬が多く寄せられているということだ。

 努力に感謝し、結果で断罪しない。そんな日本はまだまだ大丈夫だ。