volumio2.1412017年05月01日 22:05

 Raspberry pi3の電源問題はペンディング中だが、一応volumioを用意しようと思い立つ。

 今までRaspberry pi B+に使っていたmicro SDを取り出して、それにvolumio2.141を入れることにする。まずはネット上のvolumioサイトに行って、Raspberry pi用のvolumioをダウンロードし、アーカイブを解凍する。

 ここからは、ubuntuでddコマンドを打っていたのが以前のバージョン。ところが今回はEtcherというアプリがvolumioサイトでリンクされていた。そのリンクからEtcherをダウンロード、解凍したAppimageを右クリックし、Ubuntu Softwareで実行させれば、インストール完了。その後SDカードをPCにセットして、Etcherを起動し、現れた画面の左側のアイコンをクリックしてVolumioの解凍されたimgファイルを指定、真ん中のアイコンでインストール先のSDカードを指定、一番右のアイコンで作成、これだけで数分後にvolumio起動SDカードは出来上がってしまった。

 以前はパーティションの切り直し作業も手動で行っていたが、volumio2系列以降は自動的に空き容量分パーティションも作ってくれる。Raspberry pi3が搭載している無線LANの制御もできて、ホットスポット設定もできる。これを使えばスタンドアロンのスタイルで、スマホでvolumioが操作できるようになった。モバイルバッテリ、ドーターカード型DACが準備できれば、ネットワーク接続不要の音楽プレーヤが実現する。もちろんRaspberry pi B+でも起動する。

 ずいぶん手軽になったというのが感想だ。

「映画クレヨンしんちゃん 襲来!! 宇宙人シリリ」鑑賞2017年05月04日 08:36

 「映画クレヨンしんちゃん 襲来!! 宇宙人シリリ」を鑑賞。

 GW映画としては、アベレージの高いシリーズ。今回はどうか。

 手堅くまとめているが、普通と言った感じだった。しかし、ここ最近の「良い子」的な作品から原点回帰して、破壊的な要素を持ち込もうとしている点は、この作品らしいとも言える。

 3作続いて、父の存在が大きくクローズアップされている。だが、3作の中で、今回はパワーダウンと言わざるを得ない。敵役の父親像があまりに無能だからだ。クローンロボットとひろし、有能で、父親としても確立していたマッドサイエンティストとひろし、どちらも対峙する父親はひろしと互角以上の存在だったが、今回は似非スパルタオヤジ。その実態は単なる幼児性に無自覚で、父性の欠落した無能な父親。ひろしの敵ではなかった。相手にならない敵に、ひろしの啖呵も不発。「うるせーよ」程度しか出てこない。

 大人の居心地を悪くする、クレヨンしんちゃん本来のアナーキーなギャグは秀逸。シモネタももちろんだが、幼児のおつかいをハラハラしながら、傍観者的にカメラに収め、それを見て感動する我々の醜悪な趣味を痛烈に批判したり、大人=悪、子供=善という、アニメ世界のお約束を見事にひっくり返したり、多動性によるトラブルメイカーとしてのしんのすけをきちんと描写して、近年の映画版でのよい子すぎるしんのすけに現実補正をかけたり。スパルタオヤジの幼児性と無能な実態を暴き立てるのもその延長だろう。

 大人がすべて悪ではなく、子供も全て善ではない。幼児性を残したままの大人の悪、大人としての矜持を忘れない、肉体的に子供になってしまったひろしの善。相対化はドグマに安住している我々の居心地を確実に悪くさせる。これがPTAから総スカンを食らった、リアルな5歳時を描き出したクレヨンしんちゃんの本質ともいえる。

 野原ひろしが、啖呵も切らず、子供の姿になりながら、父親として、大人としての行動を静かに、黙々と取り続けている。わかりやすさ、居心地の良さではなく、痛烈な現実批判の視点が多かった。その分ドラマとしてのパワーが後退したのが惜しい。

スマホのオーディオプレーヤーアプリ2017年05月08日 22:43

 スマホをわけあって機種変更した。スペックが上がったので、ハイレゾ音源も再生可能となった。そこで気になったのが、デフォルトのオーディオプレーヤーアプリの音質。あまりこだわる気もなかったし、あてにもしていなかったので、きちんと聞いたこともなかった。要するに「鳴ってりゃいい」という認識でしかなかった。

 試しに聞いてみたが、まあ、確かに「鳴っていればいい」レベルで、これだけしかないと言われれば、文句をつける筋合いもない。スマホで音楽を聞くのはこういうものと割り切れば、不満もさほど出ない程度のレベルは確保されている。ヘッドフォンアンプの物理的スペックにも限界があるだろうし、過度な期待は禁物だ。

 では、他のオーディオプレーヤーアプリ経由だとどうなるか。無料アプリ、Wi-Fi環境なら実験し放題だ。そこでダウンロードしたのが、DENON、ONKYO、そしてさきごろ復活したTechnicsの三種。

 まずDENON。このアプリはネットラジオの再生も可能。これはうれしい。音質の方は、ゴリッとしたマッシブな感じで、押し出しが強い。デフォルトのものに比べ、厚み感がぐっと増した。だが、よく聴きこんでみると、音が若干団子状の厚化粧気味でもある。とびきりいい音のするAMラジオと言ったイメージだ。

 対するONKYOは、すっきりクリア系の音作りで、DENONとは対照的だ。音の広がりも大きくなり、楽器やボーカルがコンパクトに定位する。昔風に言えばHi-Fi的な音と言えるだろう。低域もタイトに締まって気持ちがいい。高音のきらめきもやや強めではっきりしている。

 最後はTechnics。DIGAをミュージックサーバに見立てることができたり、新生Technicsの機器をコントロールできたりと、面白い機能があるが、なにせ新生Technicsの機器は金欠庶民にはちと手が出ないのが残念。このアプリでは音が一変する。全体を静寂感が支配している。ホールトーンやボーカルの微妙なビブラートなどが明確に聞き取れる。音像は広く、ONKYOよりさらに空間の広さや空気感が伝わってくる。ノイズレベルが低いのだろうか、雑味がない。どんな曲もゆとりを持って、あたりの空気も一緒に再生してくる。ついボリュームを上げたくなるが、気がつけば大音量になっているのに、うるささを感じないのは歪みの低さの証拠。

 気分によってそれぞれ好みのアプリを変えたくなるぐらい、クオリティは高く、またそれぞれの個性がはっきりと出ていて、面白かった。私は目下の所Technicsに落ち着いている。

失言?2017年05月22日 23:00

 相変わらず、どこかの国の政治の本丸では失言が花盛りだ。

 しかし、失言などというものは本当にあるのだろうか。俗に「嚙んだ」という減少や単なる言い間違いといったものならともかく、にわかに失言と片付けるのはどうかと思う。

 あれは失言ではなく、「本音」そのものだ。

 そのような「本音」を心の底から信じているからこそ、口をついてその人物の「信念」や「概念」が現れるのだろう。

 その「本音」が、社会において適切かどうかは大きな問題だ。だが、国民から選ばれた者の「本音」である以上、その背後には選挙民の存在がある。選挙民もその「本音」をどこかで共有していたとしたら…

 ポピュリズムのメカニズムも、嫉妬や差別、排斥と強権、力と支配といった「本音」をくすぐるものだ。洋の東西を問わない。

 しかし、こんな「本音」を、こんな場所で述べていると、そのうち「一般人」のカテゴリーから外されてしまうかもしれない。くわばらくわばら…

「言語都市」読了2017年05月24日 23:17

 チャイナ・ミエヴィルの「言語都市」を読了。

 なかなか手ごわかった。舞台となる星、アリエカの状況と、ネイティブな知的生命体との共存生活、アリエカ人の身体的特徴に依拠する特異な言語と、それとコミュニケートするための人類側の対策、これらが物語の進行につれて次第に明らかになっていくのだが、それを把握するまでが大変だった。

 アリエカ人の特異な言語は「ゲンゴ」と呼ばれ、彼らは嘘がつけない。そのため、「直喩」と呼ばれる地球人の「比喩」を選び出して、実際に「直喩」を演じさせ、その状態を「ゲンゴ」として使っている。かつて少女時代に「直喩」としてアリエカ人(ホストと呼ばれている)のもとに行った主人公の視点で物語は綴られていく。

 大国から送り込まれた、アリエカ人とコミュニケートできる特殊な存在「大使」が、「ゲンゴ」によってアリエカ人の暴動を引き起こしていく。新任大使が使う「ゲンゴ」が、アリエカ人にとって「麻薬」そのものになってしまったからだ。

 ここまで話が進むと、後は一気にラストまで進んでいける。「ゲンゴ」を「麻薬」化して、それによって支配しようとするもの、「麻薬ゲンゴ」を嫌い、自ら自傷してその影響から逃れ、人間の都市に攻めこもうとするもの、そしてアリエカ人を「麻薬」から救う新たな方法が模索されていく。

 チャイナ・ミエヴィルの作品である以上、搾取や、資本主義の歪みを突く内容が覗くと感じることは不自然ではないだろう。ここでも「ゲンゴ」を「麻薬」化して支配を強める政策は、かつて地球上でも、いや今でもあるのかもしれない。

 また、「ゲンゴ」が変革を起こすことで、不可逆の反応が起き、存在そのものが変質してしまうというアイディアも秀逸だ。

 この物語自体が「暗喩」のように思えてならない。SFを未だに「直喩」としてしか読むことのできない読者こそが、アリエカ人とオーバーラップしてしまう。

 ラストはアリエカ人と人間との新しい共存のスタイル、新たな秩序と新たな冒険につながっていく。それは「都市と都市」のラストにも似た、どこか清々しく、希望的なラストだ。骨はあるが、読む価値は十分にある。