「死の鳥」読了2017年08月07日 22:44

 ハーラン・エリスン著、伊藤典夫訳、「死の鳥」を読了。

 SF小説の世界ではあまりに有名な「喧嘩屋」エリスン、そして「天才」エリスンの作品は、その名声に反してこの国ではあまり体系的に紹介されていない。有名な大型アンソロジー「危険なビジョン」も、その一部が訳出されて久しく、訳出されたものもすでに入手困難。

 しかし、エリスンの短編小説のタイトルは、人口に膾炙している。「世界の中心で愛を叫んだけもの」(原題は"The Beast that Shouted Love at the Heart of the World"、日本語タイトルは直訳である)は、古くは羽田健太郎が手がけた「宇宙戦士バルディオス」のBGMの一曲に、「宇宙の中心で愛を叫んだマリン」となぞられた。ちなみにこの作品のBGMは、LPレコード発売時に古今の有名なSF小説のタイトルをもじって名付けられている。そののち「新世紀エヴァンゲリオン」のTV版の1エピソードのタイトルに引用され、最後にはエリスンのバイオレンス小説とは対照的な難病悲恋ストーリー、「世界の中心で愛を叫ぶ」にまで引用されている。そのおかげもあるのだろうか、これまでエリスンの本としては、この作品を表題とした短編集が絶版なしで刊行され続けてきた。

 今回の「死の鳥」は、日本オリジナル短編集となっている。トップを飾るのは『「悔い改めよ、ハーレクィン!」とチクタクマンはいった』。なんともユーモラスなタイトルだが、チャップリンの「モダンタイムス」を彷彿とさせるような、そして「殺人狂時代」の雰囲気も醸し出す作品。過労死、ブラック労働といった問題がはびこる現代日本で、この作品は重い意味を持って迫ってくる。
 邯鄲の夢と言うにはあまりに悲惨な現実、「竜討つものにまぼろしを」、ターミネーターのアイディアを先行した(事実エリスンは「ターミネーター」を盗作と考えていたらしい)「おれには口がない、それでもおれは叫ぶ」、カジノに現れた破滅寸前の男と、不気味なスロットマシーンの話、「プリティ・マギー・マネーアイズ」、切り裂きジャックもの「世界の縁にたつ都市をさまよう者」、表題作であり、旧約聖書の楽園追放の話を逆転させた、衰亡した地球をさまよう男のストーリーが断片的に、順不同に並べられ、さらにその間に現実のエッセイまで入り込む大胆な構成の「死の鳥」、モダンホラーとして秀逸な「鞭打たれた犬たちのうめき」、シュール極まりない「北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中」、失われ、二度と戻らない過去への痛烈な哀惜「ジェフティは五つ」、そして、ノワール小説とも、ホラーとも、なんとも不思議な「ソフト・モンキー」

 どの作品にも通底しているのは、失われた過去への哀惜と、それを破壊する暴力的な近代化と、それを強制する社会や権力への怒り、抵抗、反骨心だろう。しかしエリスンの作品は決して単なる懐古主義に堕していくことがない。失われたものを惜しみ、悲しみ、悶えながら、それでも時の流れを受け入れ、歯を食いしばって生き延びていこうとする意志が描かれているように感じる。だからこそ、エリスンの作品はマイノリティや弱者に限りなく優しい。今を生きる者たちが密かに抱えている、過去を捨てたことについての心の傷へのまなざしの暖かさがあるからこそ、作品は色褪せずに輝いている。

 エリスンはシナリオライターとしても有名だが、スター・トレックのTOS屈指の名作と呼ばれた第28話「危険な過去への旅」(原題は"The City on the Edge of Forever"、ノベライゼーションの日本語タイトルは「永遠の淵に立つ都市」)を書いたのもエリスン。実際には製作中にオリジナル脚本に手を入れられたようだが、このエピソードもまた、過去への哀惜、それを失いつつ、傷を抱えたまま、それでも生き続けなければならない人間の姿が描かれている。

 権威に逆らい、良識を疑い、弱いものにとことん優しく、傷を抱えながらも生きる意志を捨てない。そしてあくまで軽く、飄々とトリックスターであり続ける。かっこいいとはまさにこういうことなのだろう。

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