どこかで聞いたような…2017年08月08日 23:47

 「日本ファーストの会」という団体が立ち上がったそうだ。

 源流は「都民ファーストの会」らしい。

 「都民ファースト」のばあい、都民をファーストにしない存在としての、従来の都政や国政というものが前提されていた。つまりは国内の既成勢力に対するレジスタンスやプロテストがこの名称には込められていた。

 だが、「日本ファースト」はどうだろう。私にはかなり古臭く、そして胡散臭いナショナリズムがまとわりついているような気がしてならない。

 「日本」を、かの国の名前にすげ替えてしまえば…あれと同じことを標榜しているのなら、少々鼻白むのは私だけだろうか。

「星界の報告」読了2017年08月09日 23:30

 ガリレオ・ガリレイ著、伊藤和行訳「星界の報告」を読了。

 本編だけなら100ページにも満たない小冊子だが、17世紀のパラダイムのもとで、我々にとっては周知の事実は通用しないということを考えれば、大きな内容を持った作品だと言える。

 天上界という一種の宗教的理想世界を、現実世界へと引きずり下ろしてしまった望遠鏡(この作品では「覗き眼鏡」)という観測装置。これを手に入れ、そこから得られたデータを記録し、万人にとって納得の行く方法で解釈する。デバイス政策というハードウェア、観測という地道な日々の積み重ね、そして新しい知見を解釈する想像力と、それを他者に納得させるリテラシー能力。この時代、科学はまだまだ総合学問であったことがよくわかる。

猛暑と水害2017年08月10日 23:54

 記録的大雨、長寿台風、そして猛暑。弱り目に祟り目だ。

 被災した人々の口から出てくるのは、「生まれて初めて」という言葉。

 この国の平均年齢は80歳程度。意識があるのは70年ぐらいだろう。地球の地殻変動周期は100年、気候変動はそれよりも長いスパンだ。そして20世紀後半は歴史的に見て異常なほど、地殻変動も気候変動も穏やかな半世紀だった。だからこそ、人類社会は急速に発展できたとも言われている。人間にとって災害とは、もともと「生まれて初めて」のものだ。

 人災はもっと気短だ。どこかの国の首長とどこかの国の首長が、子供じみた非難合戦に明け暮れている。だが問題なのは、この大きな子供二人が、人類を滅ぼしかねない厄介なシロモノを使うことができるという点だ。20世紀の冷戦時代、全面的核戦争で人類が滅亡するというシナリオがリアリティを持っていたのは、「生まれて初めて」のできごとではない。

 どこかの国の首長は、自国から湧き上がった核の犠牲者の願いを無視したスピーチを、被爆地で行い、被害者から詰め寄られたという。それでも「核の傘」に守られるためには、被害者の祈りを黙殺せざるを得ない。

 人類は愚かではない。しかし、愚かな人間が人類を滅ぼす愚行に走ることはある。

喉元過ぎれば2017年08月14日 22:51

 前回の東京オリンピック直前、この国ではゴミのポイ捨てが異常に多かった。街中ゴミだらけ。そこで全国一斉にゴミを拾い、ゴミを捨てない運動が繰り広げられた。そのせいもあってか、日本の街角でゴミが散乱する光景は少なくなった。

 人混みの中での咥えたばこや指挟みたばこもずいぶん減った。人混みの中で、指に挟んだままぶらぶら火の着いたたばこを振り回されたのでは、周囲の人はたまったものではないが、それがまかり通っていたのもつい最近までのことだった。

 しかし、最近はどうだろうか。スーパーの駐車場のそこここに放置されたままの、本来そこにある事自体おかしいカート。駐車場に大量に捨ててある車内ゴミ。車の窓から吸い殻が飛び出してくるのも、まだ目にすることがある。喉元過ぎればというやつだろうか。

 海外旅行での東アジア人のモラルが低いという言説もよく耳にする。いかにも日本人はそれよりモラルが高いとでも言いたげなのだが、60年代の日本の観光客がどれほど顰蹙を買っていたか。バブル期あたりで、下品だが金払いがいい(というより、値切るという概念が薄い)ことで、若干株が上がったのと、贅沢のおかげで目が肥えた人が増えたおかげで、やっとブザマよりマシ担っているだけだ。かつての日本人のモラルの程度も、筒井康隆の「農協月へ行く」で痛烈に皮肉られているが、決して否定できるものではなかった。これもまた「喉元過ぎれば」というやつだろう。

 人の本性は、そう簡単に変わるものではない。忘れてしまいたいダークサイドも同様。だからこそ、「人のふり見て我がふり直せ」という言葉もある。他者や過去のダークサイドは、そのまま自分自身の忘れてしまいたいダークサイドなのかも知れないのだから。

できることとしないこと2017年08月16日 23:29

 人にはできることがたくさんある。

 その全部ができるわけではないし、するべきではないこともある。また、しないほうがいいこともあれば、したほうがいいこともある。

 できるからと言って、なんでもやっていいわけではない。しないほうがいいことだってたくさんある。それを判断するのが知識と経験だ。

 点を取ること、文字記号の羅列を暗記することには長けても、それは知識と同じものではない。点が取れても、暗記ができても、経験が積まれているとは言えない。

 金があるからといって、無駄遣いするのは、景気浮揚という点からすればいいことかも知れないが、無駄遣いで生まれた景気は、所詮長続きしないし、もし長続きすれば、それは大規模な経済崩壊の遠因になる。

 知識の使い方、暗記した情報の使い方、稼いだ金の使い方…こちらのほうが本当は求められているのではないか。そしてその答えは一つではない。だが、世の中、いつも、下手な使い方の例に事欠かないのがつらい。

 何でもできる、何でも買えるではなく、できるけどしないでおこう、買えるけど買わないでおこう。これを忘れた時、災いが起きるような気がする。