文藝春秋の乱心2017年10月12日 22:31

 文藝春秋の社長が、文庫本が売れない原因は、図書館が貸しているからだとして、図書館に文庫本の貸出をしないよう要請するという。

 図書館の貸出の多くが文庫本だからというのが根拠らしいが、現行書籍の多くが文庫本、文庫のみの出版物が多数存在する、文庫本スタンダードの原題の出版状況からすれば、図書館の貸出の多くが文庫本になるのは理の当然だ。それとも、文藝春秋社は全ての書籍を文庫本以外の形態で出版し、その後文庫化しているのだろうか。管見にしてそのデータは持ち合わせていない。

 景気は上向き、株価は上昇というが、大して給料は上がらない。景気上向きの正体は円安誘導による貿易収支の向上が大きな要因だ。そしてそれは、とりもなおさず輸入商品の高騰と表裏一体だ。食料の過半数を輸入に頼るこの国で、円安は食料品価格の高騰と直結する。向上した収益は企業の内部留保に回され、人件費はカットすべきものとして扱われている現状の経営戦略では、収益上昇に見合う給与の増加は行われるはずもない。結果的には企業の内部留保に、国民の支出が回っているだけのこと、つまり、大企業に国民全てが年貢を払って貯金をさせているのが今の好景気の実態と言える。そんな低賃金ベースで、うなぎのぼりに高騰させてきた文庫本の価格について、文藝春秋社はどのように考えているのだろうか。平気で1000円近くもするような文庫本を、おいそれとは買えない。それとも文春文庫は全て500円を割る低廉な良心的価格設定なのだろうか、これもまた管見にして厳密なデータを知らない。文庫本は本来買うものだというのなら、年金暮らしの高齢者や子育て世代、貧困階級や無収入の学生でも負担にならない程度の価格設定にするのが先決だ。元来文庫本とは、そのようなコンセプトで生み出されていたはず。

 それでも内容が素晴らしいのなら、まあなんとか財布のそこを叩いてでも買おうという気概も出るかもしれない。だが、開けば白白とした密度の薄い、10年1日のごとき代わり映えのしない本や、賞味期限の短い実用書、トンデモ本、ブームにのって雨後の筍のように出版される使い捨て本が横行する昨今では、今の文庫本の価格ほどの価値を、本好きであればあるほど認めにくい。出版社の選書の眼力も問題だ。村上春樹にうつつを抜かしすぎて、気がつけばカズオ・イシグロは早川の独占状態。早川の見る目の確かさは言うまでもないことだが、むしろ他社の目の低さ、責めの姿勢のなさこそ指弾されるべきだ。

 出版業は単なる金儲けだけではなく、その中身を正しく評価する目利きの力、そしてその目利きを見抜ける読者の育成も重要な使命だ。いまの短期経済効率一辺倒の経営では、スタインベックの小説ではないが、イナゴの大群が食い荒らした後の無残な農地を残すだけの状態が生まれるのは間違いない。出版は顧客を引き寄せるのではない。顧客を産み、育て、生涯付き合う仕事なのだ。

 文藝春秋社よ、芸No人の下半身の不始末を追いかけ回すのに血道を上げすぎて乱心するのはやめて、この文庫本ならカネを出して、ボロボロになるまで読んで、墓場にまで持って行きたいという本を世に送り出してみるがいい。図書館は決して叩くべき相手ではない。

むかしむかし2017年10月19日 23:11

 むかしむかし、ドイツでは、民主憲法の鏡と言われたワイマール憲法のもと、合法的にアドルフ・ヒトラー率いるナチスが政権を掌握した。つまり、当時のドイツ国民の多くがナチスに票を投じたということだ。

 ナチスはベルリンにオリンピックを招致し、自国の国威を大いに発揚し、その時の入場行進のスタイルは、今でも極東の某国では学校現場で頻繁に模倣されている。

 その後、ナチスはお友達ばかりを集めた政権運営で、またたく間に腐敗し、あとは多くの皆さんがご存知の通りの末路をたどり、ドイツ国民は国家分断という悲劇に見舞われた。

 いま、我が国は解散総選挙である。

おせっかいな機能2017年10月23日 22:08

 スマホを買い換えるはめになって、一番辟易したのが、おせっかい機能の多さだ。

 以前からあった「なんとかコンシェル」は、うっとおしいことこの上なかった。とっととご退場いただいたが、他にもやたらとおせっかいな機能があった。その最たるものが「スグ電」と称する機能だ。

 大体スマホと言っても、電話を使うことなど滅多にない。身内とはLINEでやり取りするし、メールもある。プライベート使用にほぼ限定した機体なので、仕事先に電話することもほぼない。なのに、一度電話をかけると、やれお気に入り番号にしますかだの、やれお気に入り番号に登録しますかだの、やかましい事この上ない。

 やっとこのおせっかい機能をアンインストールできたので、せいせいした気分なのである。ゴテゴテと自前アプリをねじりこむぐらいなら、最低限のアプリのみで、あとはユーザまかせという設定もぜひ出してほしいものだ。

「僕のワンダフルライフ」を観る2017年10月28日 22:34

 映画「僕のワンダフルライフ」を観る。

 お付き合いで観に行った作品。自分で選択するなら、まずチョイスすることはなかっただろう。

 ディズニー+アンブリン、この図式がそのまま作品になったような映画だ。まさに良い子のための、「世界名作劇場」や動物感動もののバラエティ番組のノリ。お茶の間で家族全員で観るのが適当。

 主人公がデニス・クエイド。80年代の「インナースペース」や「ライトスタッフ」あたりの作品で、アメリカ映画にお決まりの反知性主義的ヒーロー像の具現者としてのイメージが強かったが、今回もそんな雰囲気が濃厚だが、キャラクターとしての整合性が今ひとつはっきりしなかった。

 もう一方の、というよりこちらのほうが主役級の「犬」の主観「犬格」。まあ、言ってしまえば、ゲームの主観プレーヤーキャラだ。一生が終わったら画面がボケて、次の瞬間次の犬の体の中で覚醒。肉体の性別が変わっても精神は男性メンタリティのまま。ウケ狙いかもしれないが、せいぜい一発芸程度。輪廻転生がラストのネタに繋がるのだからやむを得ないとは言え、生命の一回性という視点は当然ない。なにせ死んだらスグにリスタートなのだから。見ている側も安心して「犬」が死ぬのを見ていられる。

 手堅く作った絵本をそのまま映画にしたような作品だと言える。そういう作品が好きな向きには、そして犬好きであればなおのこと楽しめるだろう。若いカップルの無難なデート映画としては十分機能するのではないか。

Concrete and Goldを聴く2017年10月30日 22:15

 FooFightersの新作、Concrete and Goldを聴く。

 グランジの色彩が濃厚な一方で、どこかナイーブな感覚もあるFooFightersだが、Everlongのアコースティック・バージョンからは、オリジナルとはまた違った、静謐な祈りにも似た世界を感じる。そんな彼らの最新作。

 現在のアメリカの政治や社会に対する態度表明は明確にされているが、元来アメリカのロックやフォークは政治的色彩を隠さない。このアルバムもアメリカ社会の今の重苦しさを象徴するような、美しくも切ない曲、”T-Shirt"からスタートする。そして、てんこ盛りの大作”RUN”へ。

 ポール・マッカートニーがドラムを叩くトラックや、後期ビートルズを彷彿とさせる曲、ラストの地の底から湧き上がるような祈りにも似た曲、最後の最後に飛び出す反抗の叫び。ずっしりと重く、そして希望と反骨。

 心地よく耳に飛び込むわけではなく、狂騒に駆られるわけでもなく、愚直なほどにまっすぐ、しかし豊穣な曲が聴くものを圧倒する。そして、どんと荒っぽく、しかし無類の優しさと誠実さで背中を押してくれる。そんな一枚。