理の当然2018年01月04日 17:53

 ガタイのいい人間が、思い切り体当たりを食らわしたり、力いっぱい張り飛ばしたり、突き飛ばしたり、足をかけたり、投げ飛ばしたり。そのような行為を世間一般では「暴行」と呼ぶ。もちろん刑事犯としてしょっぴかれるハメになる。暴力にも仁義といったルールめいたものもあるのかもしれないが、暴力に変わりはない。

 そんな困った人間が、暴力で他者をねじ伏せ、社会的な地位と支配権を手に入れたとすれば、それは良く言っても「武断政治」だし、大抵の場合は「恐怖政治」となる。恐怖政治には服従と、昨今流行りの忖度、そして暴力による復讐が必ずセットになってついてくる。

 「土俵」と呼ばれる限定された時空間においては、このような暴力が容認され、スポーツと呼ばれている。しかし、それはあくまで限定された時空の中だけの話であるはずだ。その時空で手にした優劣が、そのままそれ以外の時空で人間関係や権力の根源となるとしたら、実に恐ろしいことだと言わざるを得ない。すでにスポーツではなく、現実社会における権力闘争そのものだ。

 権力闘争においては、忖度が上手くない者、権力者を脅かしそうなものは、全力で排除されることになる。そして、そのような行為が現代社会において容認されるはずはない。

 そんな道理が通用しない社会では、世の常識とかけ離れたことが起きるのは理の当然だ。なにを驚くことがあろうか。