捨てる神、拾う神2018年01月10日 22:49

 成人式の衣装の過熱ぶりや騒ぎぶりには、少々行き過ぎのような気もしてはいる。しかし、我が子を成人させた親の思いは決して軽いものではない。その思いを受ける子供の思いもまた同様。羽目をはずしすぎる傍若無人な振る舞いは受け入れがたいが、絢爛豪華を競うような衣装への傾倒は理解できないわけではない。

 そんな親の思い、子の思いを食い物にしたとしか思えない事件が今年発生した。今現在、素人目から見れば、計画倒産ないしは持ち逃げ事件としか言いようがない。こんな卑劣な犯罪で、一生に一度の親子の喜びの日が奪われてしまった。

 しかし、奪われた喜びの日をなんとか取り戻してもらいたいという動きもあちこちで生まれている。給料の不払いを覚悟で最後まで仕事を全うしようとした問題企業の一地方支店にしても、呉服業界にしても、人の情けを踏みにじるような仕打ちを受けた人々に、心意気で手を差し伸べようとする人々もまた多く現れている。

 人の喜びを食い物にする、大きな負債を抱えた貧しい存在がいれば、その一方で、自分の利益を度外視しても、心意気で悲しむ人を支えようとする豊かな存在もいる。豊かさとははたして金なのか、心意気なのか。

 捨てる神は金にまみれ、拾う神は心意気で動く。捨てる神は貧しくなる一方、拾う神は豊かになる。豊かさの本質は金ではないようだ。

 奪われた喜びが取り戻され、豊かな日々が蘇ることを祈りたい。