雑感2019年12月07日 20:23

 最近頭に浮かんだことを。

 資本主義は資本、つまり「金」が基本であり、可処分の「金」を多く持っていることが望まれるが、その「金」を使う者の知性や理性は問われない。

 民主主義は市民の支持が基本であり、現代ではそれを「得票数」で把握する。「得票数」を多く集めることが望まれるが、その「票」を投ずる(あるいは投じない)者の知性や理性は問われない。

ちくま文庫の石ノ森2019年12月28日 17:55

 ちくま文庫が立て続けに石ノ森章太郎の作品を出版した。

 第一弾が「アニマルファーム」、そう、ジョージ・オーウェルの「動物牧場」を漫画化したものだ。1970年の少年マガジン掲載。存在は知っていたが未読だった。他にも小松左京原作の「くだんのはは」、オリジナル(とはいえ、牡丹燈籠のパロディ)の「カラーンン・コローン」。後半2作は既読だが、原作を読んだ上での「くだんのはは」の漫画家の見事なこと。「カラーン・コローン」も今では絵空事にならなくなってきているのではないかと、以前とは別の意味でゾッとする。
 そして「アニマルファーム」。よくこれを少年マガジンが掲載したとつくづく思う。今では考えられないようなとんがりっぷりだ。オーウェルの寓話をこれほどストレートに表現できるのは石ノ森の才能だろう。この作品の延長にあの「ドッグ・ワールド」が生まれたのかもしれない。

 第二弾はなんと、「佐武と市捕物控」のセレクション全3巻。発表順ではなく、テーマを据えて作品群からセレクトしてある。どれもみな懐かしいのだが、今読み返してみると、この作品、人生の枯葉色が見えてこそ腑に落ちる話が本当に多い。もちろん石ノ森自身はこの作品をかいていた時、まだそんな年齢ではなかったのだが。
 若い時分は若い佐武やんに、そして人生の陽が傾き始めると市やんに、読む側の軸足も次第に変わっていく。年の離れた友人二人というこの設定が、どれほど作品に深みを与えたことか。

 すでに凡百の小説などを突き抜けた漫画がここにある。漫画は低俗でつまらないものだという、ろくに漫画を読みもしない胡乱な輩が、教育だの読書指導だのと世迷いごとを吹聴するのはそろそろ自身の無知蒙昧の宣伝に過ぎないということを思い知るべきではないのだろうか。「ちくま文庫」という入れ物が、そのことを痛切に批判している証拠ではないかと思う。

グレンファークラス 12年2019年12月29日 20:33

 年末なので、少々奮発してグレンファークラス12年を手に入れた。ずいぶん以前に一度飲んだことがあるが、山のモルト系の、クリアなイメージが残っている。

 パッケージも変わっていて、以前の風車のイラストはなくなり、シンプルでおとなしいラベルに変わっている。

 12年の色はやや濃く、飴色に近い。ピート臭もあるが、あまり強くない。口に含むとバニラ系の香り、そして甘い。グレンフィディックやグレンリベットのようなハチミツ系の香りと甘さではなく、むしろクリームのようなとろりとした甘さだが、後味はしつこくない。スムースで刺激も強くなく、スイスイといけそうな(おろそしい)飲み口だ。

 普段飲みには少々高額だが、ちょっとした節目に飲むのにいい酒だと思う。いくらか安く、かろうじて普段のみにできそうな、同じくグレンファークラス10年の味がどうかも気になる。

「フランケンシュタイン」を観る2019年12月30日 23:04

 1931年制作の映画「フランケンシュタイン」を観る。

 タイトルロールでこそ「?」とクレジットされているが、ボリス・カーロフが怪物を演じた作品だ。フランケンシュタインの怪物といえば、真っ先にあの首にボルトの刺さった姿が思い浮かぶが、それはこの作品に端を発している。

 ホラーとしては大時代的で、今の目から見れば大したことはないが、20世紀初頭のヨーロッパの古き良き時代のイメージはよく伝わってくる。近代科学が破壊しようとしているこれまでの秩序と、その破壊によって生み出された制御不能の脅威、そして最後には旧秩序の象徴とも言える、老フランケンシュタイン男爵のなんともとぼけた、粋な締め。科学の暴走への恐怖と、それ以前の世界に対する保守的な信頼がこの作品の世界観だ。

 少女と戯れる怪物のなんとも嬉しそうな笑顔、与えられた知力の制御を超えた力を持つがゆえに起こしたその直後の悲劇。怪物がなぜ生みの親に近付こうとするのかがはっきり描かれていないのだが、それでも少女とのエピソードがこの怪物のもつ純真さを際立たせ、哀しみを背負わせる。