ゲーム規制法案2020年01月21日 21:21

 香川県がゲーム規制の法案を打ち出したと言う。

 ゲーム中毒が疾病と認められ、依存状態の子供が現れ始めた上、他国ではそれが原因で死亡した例もあるのだから、規制したいという意志は理解できるし、そのような希望が有権者から挙がることも不自然ではない。

 だが、「ゲーム」だけを標的にしてことが足りると考えるのはあまりに浅薄すぎる。ギャンブルにも同様の依存症があり、その末路が悲惨なことは別に最近判明したことでも何でもない。

 ギャンブルに嵌りこめば困った奴と認識し、ゲームに嵌りこめば病気だという。ところが玉コロ遊びにのめり込めば「スポーツマン」と称揚する。ギャンブルだって金が儲かるとあれば「IR」だなんだと政治家連中が旗を振る(振りすぎてコケた議員がいるが)。

 人間は「遊ぶ」生き物だ。「ホモ・ルーデンス」とはよくいったものだと思う。だが、遊び呆けると身を滅ぼす。遊びはあくまで第二優先以下でなければならない。スポーツだろうが、ゲームだろうが、ギャンブルだろうが(あるいは金儲けや仕事だろうが)、日常の生活より優先されるべきものはない。「遊び」の対象によって推奨したり規制したりと日和見的な対応をすること自体に大きな問題がある。

 ゲーム規制は単なる劇薬的対症療法に過ぎない。いつまでも続けていたところで、必ず規制の裏をかき、あるいはアンダーグラウンドに潜り込んで、悪の温床となり、隠然たる権力を生み出すもととなりかねない。要は禁酒法と同じだ。こんな法案は、いつまで、どのような条件下で廃止するのかをしっかり規定しておくべきだ。引き際を考えない戦術は旧日本軍のお得意戦法で、その結果がどうなったかを知らないはずもなかろう。

 できもしない禁令は、必ず社会の害悪となる。むしろ世にあるあらゆる「お楽しみ(エンタテインメントとも言う)」は引き際を考えて程々に、という「粋」な文化基準を生み出す努力をすべきだ。

 何事も腹八分、少し食い足りないぐらいにしておくのが「粋」。今回のことでネット上で香川県は「ゲーム規制よりうどん規制すべきだ」などと揶揄されているが、どちらも「腹八分」教育で一挙に解決できるのではないか。

 いっそ「うどんもゲームも、腹八分!」なんてスローガンでキャンペーンを打ったほうが効果的かもしれない。