じわじわと迫りくるものに対して2020年03月29日 11:25

 某国の飛翔体も怖いと言えば怖いが、病気の方がもっと怖い。そんな風潮だ。世界中に蔓延する今回の病気の脅威は戦争以上のものかもしれない。

 感染は人間のコミュニケーション行動で媒介される。したがって直接的コミュニケーションを制限するより他に仕方がない。コミュニケーションこそが人間の本質であるとすれば、ウィルスの生存戦略は実に巧妙かつ効果的だ。

 人類はいろいろな手段でこのコミュニケーションを発展させてきた。そしていつかそれが当たり前のものとして、社会インフラに組み込んでいる。巨像のような現代社会も、ウィルスという目に見えないほど小さなアリによってよろめくことになった。

 ネットが発達しても、データで物理的なメシは食えないし、薬も飲めない。物流も結局は人手が必要だ(ドローン配達はまだ実用的ではないし、無人運転もまたしかり)。そして、病気についての基本的な知識の学習はと言えば、学校の勉強すら喉元すぎれば忘れ果ててしまう我々の悲しい性…新しいものについていけない(いきたくない)保守化した高齢者、何も考えず享楽的にしか行動しようとしない(先の見通しが立たない社会に放り込まれた)、海外マスコミから呆れ果てられた街を夜遊びする若者。コロナウィルス対策を報じた直後に、やれ美味しいスイーツの店だの、トレンドショップだのと、外出を誘導するような(東京ローカルの)情報を全国に垂れ流すマスコミ。

 気を引き締めていこう。先人たちの知恵に学ぶことも多いはずだ。人類はこれまでもパンデミックを生き延びたのだから。芸術もまた然り。オイルショックのときのような馬鹿げた買い占めや店頭への殺到を笑っていたのはいつ、誰だったのか。