在宅勤務2020年04月22日 23:18

 新型コロナウィルスへの対応ということで、在宅勤務を命じられている。出勤せよ、ではなく、出勤するなというのがメインポリシーなので、従わねばならない。

 テレワーク的なこともできるが、セキュリティをガチガチに設定している職場(おそらく外注業者のいいなり?)なので、個人の範疇でできる仕事ぐらいしか取り掛かりようがない。

 それでも新しいアプリケーションの調査やら実験やら、職場で電話応対だの会議だので中断されることなく、集中できるのはかえっていいのかもしれない。

 これを機に少し自己研鑽も積んでおくとしよう。年を取って保守的になると、ただでさえ年長者というだけでへばりついてくる権力のおかげで、人間が腐っていってしまう。ときどき新しいことに取り組んで、ずぶの素人に逆戻りする癖をつけておかないと、こんなご時世にスーパーやらドラッグストアやらパチンコ店に押しかけて、クダをまいたり傍若無人な言動に走ったりする、勘違いも甚だしい、ただ馬齢を重ねただけの「エセ年長者(中身が伴っていない、だた年を取っただけの敬意を払う価値もない老人)」になってしまいそうで怖い。

 長幼の序は儒教に端を発するが、その始祖である孔子の現行を記した「論語」には、「六十而耳順」とある。六十になると、何を聞いてもすぐ正しい理解ができ、何の問題も起こさなくなるという意味だ。ちなみに七十になると「心の欲する所に従えども矩を踰(こ)えず」となる。好き勝手に行動しても、まっとうな行動から外れることがないという意味。論語の言う「年長者」とは、こういう存在だ。大半の人間はそうはいかない。つまり、年をとってもエバる資格など、一般大衆にはありはしないということだ。当然私もその一人。常に謙虚に、「初心忘るべからず」でありたい。