「椿井文書」読了2020年05月17日 17:11

 中公新書、馬部隆弘著「椿井文書(つばいもんじょ)」を読了。

 サブタイトルが「日本最大級の偽文書」とある。現在の大阪、奈良、滋賀にかけて、地方部を中心に寺社の由来や家系図、地図などを大量に偽書した椿井正隆という人物がいたという。もともとは一種の歴史マニア的なところからスタートしたらしい。

 過去の歴史書の曖昧な部分に自分でツッコミを入れてみたり、なんとなくそれらしい文書を自分で作ってみたりと、まあ当初は今でいうオタク的なきっかけだったのだろうと本書にも紹介してある。

 ところが、この偽文書が地方の村の争いに加担するために作られるようになる。もちろん無料ではない。そして偽文書が「本物」らしく機能するために、その周辺の膨大な資料も偽造する必要が出てくる。自分の家に保管している古文書が破損、虫損したため、最近になって模写したという触れ込みで大量に偽文書を作り始めていく。ウソがウソを呼び、雪だるま式に偽文書が増殖していくわけだ。

 偽文書を使う側も、どことなく眉唾だと感じながら、自分に都合の良い内容なのでそのまま利用する。やがてウソが信じられるように、またはウソに合わせた利権が生まれていき、最終的には様々な(経済的、社会地位的、権力的)利権でガチガチに固められたウソは、もはやウソとわかっていても修正のしようがなくなっていく。なぜなら、ウソを修正すれば多くの損害が生まれるが、修正してもそれを上回るメリットがなくなるからだ。

 そして現代、このウソがまちおこしのアイテムとして使われ始めている。椿井文書は近畿一円を扱うが、日本全国を見てみれば、そのような眉唾文化財や眉唾名士はけっこうたくさん存在する。

 むしろ偽文書であることを把握した上で、そのようなものがどのように受容されたのかを解明するほうが建設的だという意見ももっともだ。

 ウソにウソを重ね、最後には利権まみれにして押し切る…どこかで聞いたような話である。