「EVA」を観る2020年07月25日 16:15

 2018年のフランス映画「EVA」を観る。

 ハドリー・チェイスの「悪女イヴ」の映画化。1962年のフランス映画「エヴァの匂い」に次いで、フランスで2度めの映画化ということになる。

 人気も陰り、体も衰えたイギリスの老作家が、いまはパリで介護を受けながら、発表の当てもない喜劇脚本を執筆し、急死。彼を介護していた主人公がその脚本を盗み出して発表すると、またたく間に大ヒット。一躍演劇界に注目されるが、当然次回作を求められることになる。元来盗作だったのだから、次回作など書けるはずもない。高級レストランのメニューすらまともに読めず、注文したワインの価値すらわかっていない。そんな男が嘘で固めた成功を守ろうとする日々の中で、一人の女と出会い…

 この女が文字通り「ファム・ファタール」なのだが、「悪女」というより、こちらも日々に疲れた初老の女。なぜそんな女に若い主人公がのめり込むのか、そこが今どきの美男美女の映画にどっぷり浸かっている目でみていると、なかなかピンとこないだろう。だが、若くてハンサムな主人公(ギャスパー・ウリエル)は醜い内面を隠して生きているし、女も老いてメイクでも隠しきれない衰えを醜いと自分を評しながら(イザベル・ユペール)、若作りのメイクで「仕事」をしている(メイクしていないときのほうがかえって醜さを感じない)。男は自分の今の生活が虚飾、女は虚飾で仕事をしている。その二人が次第に虚飾をはぎ落としかける時、悲劇が起こる。

 今の暮らしそのものが虚飾まみれ。それを守るためには「真実」は絶対に封印しなくてはならない(主人公の恋人さえも劇中で「真実」を隠して嘘をつく)。虚飾の「浮世」に「真実」は野暮。それを痛みとともに思い知らされながら生きるのが「憂き世」…江戸の美意識にも通ずるような気がする。だからこそ女は「醜さ」や「老い」を備えていなくてはならない。男は若くて美しいが、どこか空虚でなくてはならない。絶妙なキャスティングだと思う。

 黙って座って楽しむタイプの映画ではない。観る側が考え、補完していくタイプの映画。