衰え?2020年08月03日 22:25

 最近、老化が進行しているようで、よく聞き間違いや言い間違いをすることがある。

 先日も「Go To トラベル」というところを、つい口が回らなくなって「Go To トラブル」と口走ってしまった。

 それを聞いた家族が大爆笑したのは言うまでもない。

 笑える話ではないのだが…

「ぜんぶ本の話」読了2020年08月12日 22:06

 池澤夏樹・池澤春菜著「ぜんぶ本の話」を読了。

 著、と明記するのは少々ためらいがある。芥川賞作家であり、世界文学全集・日本文学全集を個人セレクションで世に送った父、池澤夏樹と、SF・ミステリをコアにしつつ、幅広く膨大な読書量を誇るその娘、池澤春菜の親子の、本を巡る対談。

 初めて読んだ本の記憶から始まる児童書、二人ともに日本人の著した古典的童話が苦手で翻訳ものに傾倒する。父は「赤毛のアン」が苦手と告白、娘はミリタリーSFが苦手と告白。苦手なジャンルも腹蔵なく語り合う二人に、うなずいたり首を傾げたり…それがなんとも楽しい。そして二人の話は次第に父であり祖父である福永武彦へと言及していく…

 親子三代がともに絶妙なのはその距離感だろう。つかず離れず、その間合いが素晴らしい。離婚してともに暮らすことのない息子に、定期的に「世界文学全集」を送っていた福永、福永の存命中は小説を書くまいと思い、名字が違うことで父の影から距離をおき、更に日本文学の社会からも距離をおき、SFやミステリの蔵書を蓄え、娘にそれに自由に触れさせた夏樹、父の蔵書を乱読しながら自分の立ち位置を作り、今に至る春菜、三代の親子は互いに子供の人格を尊重し、支配するでもなく、支配されるでもなく、それでもしっかり見守り合い、尊敬し合っている。その尊敬も盲目的なものではなく、客観的に見つめつつ、是々非々の価値判断のもと、そのすべてを受け入れている。

 親子の読書遍歴であり、知の前線に立つ同士の会話でもあり、素晴らしい親子のあり方も見ることができる。娘の読みのスタンスを聞いて、「そういう読み方で今度読み直してみよう」などとさらっと言える父親の柔らかさ、しなやかさ(それは当然強さの裏返しだ)、「この人が父でよかった」とはっきり言える娘の強さ、羨ましい限りだ。

 堅苦しい本ではないし、大部でもない。しかし、フランクに本を読み、フランクに語り合う。それが親子であることがなんと幸せなことか。

「神弓-KAMIYUMI-」を観る2020年08月17日 10:58

 「神弓-KAMIYUMI-」を観る。

 2011年の韓国映画。本国では大ヒットだったらしい。韓国作品はいままであまり体質に合わないことが多く、引き気味だったのだが、再度挑戦と言ったところ。

 細かいことを言い出すとツッコミどころは多々あるが、日本で言えば時代劇のようなもの。そういうことを突くのは野暮の極み。アクション映画としては文句なし。今風だけに出血シーンなどは派手めだが、残虐シーンは程よく省略されていて、胃もたれ感なく楽しむことができた。

 弓の名手でありながら、逆賊として殺された父が残した弓を受け継ぎ、父の友人のもとに身を隠す主人公の兄とその妹。逆賊の子と知りながら二人を育てる気骨ある武人。彼の実の息子は武人と言うより文人で、線も細く、才能も今ひとつだが、気のいい優しい男。美しく成長した主人公の妹と結婚を許され、結婚式のその日に、清軍が襲ってきて、武人は戦士、妹と夫は捕虜に。町を離れていた主人公は父の形見の弓と、学問も武術も長続きしなかったとは言われているが、一人鍛え上げた弓の腕とで清軍にとらわれた妹を助けに行く。

 途中ひ弱な優男だった旦那が以外に高い戦闘力を見せつけるなど、意外性も面白かった。清軍の総指揮官である王子がまたプライドばかりで人を見下し、見通しの甘いスケベなチャラ男であるのもお約束。その補佐の軍人がまた強いこと。これもまたお約束。このへんは日本の時代劇とフォーマットが同じ。というより、アクション映画の王道そのものだ。

 それにしても、自分自身、隣国の歴史にいかに疎いことか。見終わった後、ネットで朝鮮史を調べてやっと時代背景を掴んだという体たらく。勉強不足である。こんなざまでは隣国のことをとやかく言える義理ではない。猛省しきり。

「スターリンの葬送狂騒曲」を観る2020年08月19日 10:19

 「スターリンの葬送狂騒曲」を観る。
 
 2017年の英・仏合作映画。内容から考えて、ロシアが絡む可能性は…まずないだろうと納得。

 スターリンの死には毒殺説など、いまだ諸説あって、定かではないようだ。そこにワンアイディアを持ち込んで、毒殺説を否定しつつ、硬直しきった恐怖政治が結局はスターリンの息の根を止めたと取られる描写となっている。恐怖政治は硬直化と責任回避(無責任)をはびこらせる結果となる。それが不謹慎ながら滑稽な言動を生み続ける。文字通り死ぬほど怖い世界なのに、それがどこか滑稽なものを生んでいる。恐怖を突き抜けた歪んだ笑い、まさに「ブラックコメディ」そのものだ。

 ドラマなので、当然史実の流れをくみながら、史実とは離れた描写が多々ある。ドキュメンタリーではないのだから、そこを突くのはお門違い。本質として描かれている権力闘争の醜さ、虚しさ、バカバカしさは十分伝わる。悪役となるベリヤ(ちなみに劇中で暴露される悪行は実際にベリヤが行ったものである)も、主人公格のフルシチョフも、みんなどこか悪いやつばかり。ラストシーンではフルシチョフの斜め後ろに眉の濃い若者が…

 みんな言ってしまえば小悪人。そんな小悪人が国を牛耳る恐怖。粛清と秘密主義と恐怖政治で自滅していったソ連だが、それは政治体制の問題だけではない。現代の世界がこの映画を、ソ連の崩壊を笑えるのだろうか。