「サイドマン:スターを輝かせた男たち」を観る2020年09月22日 16:55

 「サイドマン:スターを輝かせた男たち」を観る。

 アメリカのブルースを支えたドラマー・ピアニスト・ギタープレイヤーの三人のサイドマンたちの伝記。当時サイドマンはリーダーやボーカルを支える縁の下の力持ちであって、いわば黒子。彼らなしにはブルースは成り立たず、彼らなしには後のロックミュージシャンたちは生まれなかったが、注目されることもなく、人に知られることもなく。ただ玄人のみが知り、惜しみない敬意を表すミュージシャンたち。

 彼らは皆貧しく、苦しい子供時代を送り、抑圧と差別の中でブルースを生み出していく。その歴史の重さは計り知れない。ところが、ブルースの価値を最初に認めたのは、そんな抑圧の歴史をあまり知ることのないイギリスのミュージシャンたち。彼らによって純然たる音楽の価値を認められたブルースがアメリカに逆輸入されるあたり、どこかの国の文化受容とそっくりだと感じてしまう。

 世の中がかりそめながら豊かになり、抑圧や反抗、抵抗の意欲が薄れた80〜90年代、ブルースは壊滅の危機を迎え、サイドマンたちの生活も荒んでいく。そう言えば日本でもこのあたりから良い子の文部省唱歌のような歌が世間でヒットし、享楽的刹那的で幼い歌が蔓延してきたような気がする。そして今やJ-POPと称する歌の大半は70年台のアニソンよりも幼い。

 不遇の年月を経て、2000年代になってブルースは再発見されてくる。それは世の中が虚飾を剥ぎ取られ、これまで隠れていた現実の不合理や抑圧、分断、差別といったものが噴き出してくるのと軌を一にしている。サイドマンたちは一生の最後にやっとその価値を認められ、偶然にせよほぼ時を同じくしてこの世を去っていく。

 彼らはアメリカの産んだ伝統音楽である「ブルース」を残したいと祈り、次の世代をどう育てようかと考えていた。いつまでも同じものでは枯れてしまう。新しい若い命を取り込もうと貪欲だった。ブルースを認めた若いストーンズと共演し、若い才能と対等の立場に立って音楽を楽しみ、エッセンスを伝え続けている。すでにアメリカにも伝統芸能は存在していることがはっきりとわかる。

 現在のミュージシャンたちのインタビューも興味深いものが多い。一見の価値があるドキュメンタリー映画だ。かつては大都会の単館系劇場でしか観ることができなかったであろうこういう映画が、自宅で配信で観ることができるようになったのはありがたいことだ。