貧すれば鈍する2020年10月25日 15:49

 貧しくなると、日々の暮らしが苦しくなり、頭を働かせる余裕がなくなる。国が貧しくなると、国民の理性も鈍る。かくして第一次大戦の後、ドイツはワイマール憲法下でナチスの台頭を許した。

 そんな時、為政者はアメとムチを使って国を支配する。ドイツ人に優遇と経済的保証と優越感というアメをばら撒き、その裏で社会的弱者とユダヤ民族に対する想像を絶する迫害というムチを振るった。異を唱えるものには反逆者のレッテルを貼り、アメで懐柔した国民による排斥を誘発した。

 別にナチスドイツに限ったことではない。さんざっぱらナチスを悪の権化として叩き、コケにしたアメリカですら、社会的弱者を叩くことを抑えきれず、それを正当化する勢力が過半数を掌握したここ数年の惨状と醜態は周知の事実だ。

 援助という金もアメとムチになる。物資も配給制になればアメとムチに早変わりだ。大戦中の日本であっても、検閲は紙の配給の有無が実効性を持っていたという。出版したくても紙が配給されない限り、出版不能だ。その配給を決定するのが権力側なら、十分思想への政治介入となる。

 今は紙以外の媒体で思想信条を発信できる。だが、マスメディアには放送法というルールがあり、ネットも一部の稚拙なマスメディアが引き起こした嘆かわしい事件や、匿名性にあぐらをかいた不適切発言の多発をきっかけに、法規制やむなしの世論が起きている。たしかにネットでの言説やTV等の番組にはあまりに稚拙で容認しかねるような反人道的内容を散見するが、法の規制が一度かかれば「角を弛めて牛を殺す」ことになりかねない。

 この国は、「法解釈」に関してはなかなかの言語力の持ち主がそろっているのだから。

 金と規制は現代のアメとムチだ。そして国が貧しくなると、民主主義の機能はどうなるか。貧しくなるのはまず金、そして知性だ。

 ガチパルピの「第六ポンプ」のようになるのか。

 どこかの国では「ナチスの政権奪取を学べ」と言った閣僚もいたような記憶がのこっている。

 「ジャイアン」を学んだかのような某国の為政者の進退が問われるまであとわずか。だが、高みの見物と洒落込むようなわけにはいかない。「貧しても鈍せず」となる方策が今必要だ。