「カサノバ」を観る2021年04月03日 17:15

 フェリーニの「カサノバ」を観る。1976年のイタリア・アメリカ合作映画。

 「カサノバ」だけに、いやでもベッドシーンは出てくるが、時代はともかく、そこはフェリーニのこと。大規模なセット同様、まるで歌舞伎かモダンバレエのような様式演出で、お色気は確かにあるものの、人工的で抽象的な表現となる。というより、この映画の中のカサノバにとっては「苦役」であるかのような描かれ方だ。

 この作品でカサノバが惹かれる女性は、旅芸人の大柄な女性、謎の(高位の)女性、そしてなんと、木製の自動人形。旅芸人は眠っている間にどこへともなく旅立ってしまい、謎の女性も目覚めると姿を消し、晩年のカサノバの夢の中にふたたび現れる自動人形とのダンスがラストシーンとなる。

 いつか終わってしまうとわかっている、現実ではないとわかっている狂騒(それは冒頭シーンのお祭りから)に、終わりの予感をもちながら、それでも飛び込んでいってしまう愚かさ、可笑しさ、そして狂騒の後の寂しさ、虚しさ。それは江戸っ子の遊郭文化とも通じるような気がする。

「アメリ」を観る2021年04月03日 17:26

 「アメリ」を観る。これもなかなか縁がなかった作品。

 フランス映画らしいといえばたしかに、なんともあっけらかんとしたコメディだ。お色気もシーンもあるが、ここまでドライに扱われると健全に見えてしまうから不思議だ。

 リアルに描けば、毒親によって歪められた女性の物語であり、ドロドロの世界が展開しそうだし、日本ならまずその方向に進むだろう。ところがそんな「リアル」はどこ吹く風、ヒロインの「アメリ」はあっけらかんとしたものだ。時には犯罪の域にも達するいたずらまでして、周囲の人の幸せにし、悪いやつを懲らしめる。これは「禁じられた遊び」の系譜か。

 そんなアメリも、自分については奥手。自分の恋や相手への向き合い方がわからない(そういう育てられ方をしている)。そんな時、周囲の暖かいサポートがあり、全ては良い方向へ…

 他愛のない現代版大人のコメディファンタジーだが、それが必要なのが現代。一発芸しか能のないどこかの国のコメディとは格が違う。