スポーツという社会構造2021年05月23日 17:10

 オリンピックがどうのこうのと喧しい。

 Eスポーツという言葉が生まれ、認知されたということ、Eスポーツの実態がオンラインのテレビゲームであるということを考え合わせれば、スポーツとテレビゲームの本質は通底していると考えるべきだ。つまり「遊び」である。

 遊びが現実社会や生活の支障となると、かなり困ることになる。ゲームではその状態を「ゲーム中毒」「ゲーム依存症」と呼び、最近までは「ゲーム脳」なる珍妙な言葉まで使われていた。ゲームもスポーツも本質が「遊び」ということなら、「スポーツ中毒」「スポーツ依存症」「スポーツ脳」も当然あってしかるべきだが、どうやらそれを認めると都合の悪い連中がいるらしい(私はたしかに存在していると個人的には確信している)。

 スポーツ界ではいまだに暴力、暴言、虐待、ハラスメントと「指導」の区別がついていない。指導者は言うまでもないが、指導を受ける側の中にも「厳しい指導」だの「愛のムチ」だのと、マゾヒスティックに暴力指導を求める向きがある。中毒のはてに当たり前の判断すらできず、当たり前のことを認めることすらできなくなっているのだろう。

 指導の「カリスマ」のような存在が指導者として権力を握り、それに盲信する選手や家族が追随して、ますます権力が暴走する…これはどこかで見たことがある構造ではないか?

 …そう、カルトそのものだ。

 カルトの末路がどうなるかを実感として知らない世代も増えているのは確かだが、(地下鉄サリン事件はすでに四半世紀前のものとなった)世界中どこのカルト集団でも、ジェノサイド以外の末路はない。

 ジェノサイドだ。

 認知症にもいろいろな原因があるが、個人的には「権力性認知症(通称欲ボケ)」も古来存在しており、年齢にかかわらず発症するかなり重篤な症状だと考えている。

 カリスマやカルトの指導者には、制御の効きにくい、恣意的権力が集中する。封建独裁制がカリスマやカルト指導者のつくる社会構造なのだから、当然のことだ。このような権力は特に重い「権力性認知症」を引き起こす。

 スポーツのカルト化は放置されるどころか、推奨されているかのように思える。そして、何度も繰り返すが、その果てにあるのは、それがいかなる原因で発生しようとも、そう、戦争だろうと、ヘイトだろうと、

 伝染病

であろうと同じ。

 ジェノサイドだ。