「シャイニング」を観る2022年05月19日 00:11

 「シャイニング」を観る。1980年、スタンリー・キューブリックの作品。

 あまりに有名だが、なかなか御縁がなかった映画の一つ。やっときちんと観たと言ったところ。

 原作のスティーブン・キングが嫌がったのは有名な話だが、もともとキューブリックはそういう作風(あの「2001年宇宙の旅」だって、原作のクラークからは厳しいコメントを受けている)なのだし、それはそれ、これはこれで見るのが得策。比べることにさほど意味はないと思う。

 ホラーといえばホラーだが、普通のホラーではない。ここで一番怖いのは、主人公ジャックを狂気に引きずり込む存在そのもの。因縁話でそれらしいオチは付けているが、それはどちらかといえば余興(伏線は張ってあったが)。狂気のもとはWASPとマチズムの問題そのものだ。独善的で弱者には平然と搾取と狼藉を働き、あまつさえそれを正当化して優越感に浸る。それが認められない時代が来ると、ノスタルジーを隠れ蓑に感情で他人をコントロールする。その本質は支配欲と権益保持、つまりは人間の「あさましさ」だ。アメリカの暗部そのものでもあり、人類の暗部そのものでもある。

 今の世界情勢を見ると、なんとまあこの作品の「ジャック」が多いことか。そしてこの世界同時多発的に出現する「ジャック」の眷属が実際に権力の座についている現実を見ると、現実のほうがホラーそのものだと思えてしまう。今のほうがこの映画、アナロジーとして観るとよりゾッとする。そういう人間の暗部を見抜く「シャイニング」を持ちたいものだ。

「キングコングの逆襲」を観る2022年05月24日 17:25

 「キングコングの逆襲」を観る。1967年の日本映画。

 日本版キングコング映画の2作め(1作目は「キングコング対ゴジラ」)。こちらはオリジナルの「キングコング」へのオマージュ色が強い。敵も恐竜に大ウミヘビと、オリジナルのキングコングと重なる。

 大きく違うのは、冒頭から登場するロボット「メカニコング」。出色の出来と言っていいだろう。これを特殊な鉱石「エレメントX」の採掘に使おうとする悪の科学者とそのスポンサーの某国工作員の暗躍が全体を通した悪役となる。悪の科学者は天本英世。こういう役ははまり役と言っていいだろう。

 某国工作員は浜美枝。今の目で見てもとんでもなく美しい。「007は二度死ぬ」でのボンドガール抜擢もうなずける。キングコングが一目惚れする金髪女性(これもフォーマット通り)よりも美人ではないかとも思ってしまう。

 怪獣が熱戦を吐くわけでもなく、キングコングが電撃放射をするわけでもなく、日本の怪獣映画のフォーマットからすれば地味な印象が強い。ドラマ面も当時の基準からすれば悪くはないが、それを引き立てるには特撮シーンが今ひとつ。もちろん当時としては高度な特撮なのだが、今の目で観るとチープさが目立ってしまう。それでも、浜美枝とメカニコングを見るだけでも価値はあるのではないか。

「パシフィック・リム」を観る2022年05月29日 09:20

 「パシフィック・リム」を観る。2013年、ギレルモ・デル・トロ監督のアメリカ映画。

 話題になっていながら、劇場に行くタイミングを逸し、それからはなかなか縁がないままだった作品。

 日本のサブカル・コンテンツの、それも王道というより少し傍流に流れているあたりへのオマージュいっぱいの作品。心理描写が薄いのは確かだが、この尺でこの内容なら無理もない。日本のサブカルの多くはTVシリーズが基本で、トータルでいえば12時間以上(最近は6時間弱)もの時間を積み上げて作成されているので、心理描写にも時間が使えるが、2時間ではどこかを端折らなければならない。ストーリーを破綻させないためには、心理描写は薄めになってしまう。

 作中の日本語の定着っぷりがまた面白い。どこか不自然で、でも意味は通る。意味と表現がどこかもどかしく乖離しているのは、日本語ネイティブ(菊池凛子演じる森マコは、幼少時にイギリス軍人に引き取られているので、日本語が不自然という設定なので、不自然でなければならない)ではない人々の日本語受容のスタイルとして興味深い。

 カイジュー(冒頭で日本語の「怪獣」であると明記)が海底の次元断層から責めてくる。それに対抗するための人類側の兵器がイェーガー(ドイツ語で狩人)。二足歩行人形ロボットであるイエーガーはパイロットのモーションキャプチャーで操縦するが、精神面での負担が大きいため、パイロットは二人のバディとなり、大脳機能を共有するシステムの起動時に互いの記憶を共有することとなる。まさに巨大ロボットもののフォーマットのてんこ盛り状態。このあたりをシリアスに掘り下げると、ドロドロの人間関係ドラマになりそうなので、少年マンガ的にさらっと流すのだが、ここが心理描写の薄さの原因の一つにもなる。ダークな部分は描けても、ダーティな部分は描きにくい。プライバシーに関連するセンシティブな部分ももちろんである。

 とまあ、そういう小難しい話をするのはこの映画には野暮だろう。おなじみの伏線と、おなじみのフラグをチェックしながら、ハデなロボットアクションを楽しむのがこういう映画の「お作法」だ。だからラストの甘さも許そう。そういうところも「日本のサブカル」そのままなのだ。

「アルゴ」を観る2022年05月30日 23:40

 「アルゴ」を観る。2012年のアメリカ映画。もう10年も前の映画になるのかと、少々驚いている。

 イラン革命で在イランアメリカ大使館が占拠され、52人が人質となった事件で、選挙直前に大使館を脱出した6人のアメリカ人を奪回するために、CIAが採った作戦を描いている。救出当時はこの作戦は極秘扱いで、脱出はカナダの尽力であったと公表された。クリントン政権で1997年にはじめて公表されたのがこの映画のもととなった事実となる。

 当然映画なのだから、事実そのものではない。映画作品としては申し分のない、王道を行くサスペンス映画となっている。

 ただ、この事件を引き起こしたアメリカの政策のことを考えると、脳天気にこの作品を観るのは抵抗があることも確かだ。アメリカの中東政策や中南米政策の根本には、白人至上主義と人種差別思想がとぐろを巻いているように思えてならないし、その暗黒面が今のアメリカの闇そのものとつながっていると言っていいだろう。この映画の主人公は、いわばその尻拭いを、無名の存在として命がけで務めていたということになる(結果的に機密解除によって事実は公表されたが、そうでなければ真相は藪の中のまま)。

 題材が題材だけに、手放しで面白がることが出来ないのが歯がゆい限り。ちなみに作戦のためにでっち上げられた映画「アルゴ」は、どうやらロジャー・ゼラズニイの名作「光の王」をベースにした作品だったらしい。当然どうしようもない「ダメ映画」だったのだろうが、もし制作が実現されたなら、どんな「トンデモ」映画になったのか…そして「光の王」が「アルゴ」以上の名作として映画化されたならどうなるだろうか…そっちの方も気になる。