それが「戦争」 ― 2022年06月12日 14:59
子どもが、一般市民が殺される。性被害が続出する。捕虜の扱いに人権が保障されない。町が瓦礫になり、使う言葉も変えられる。
ウクライナの話ではない。これは戦争すべてに共通だ。善も悪も、攻撃も防御も、前線も銃後もない。戦争が残すのは、遺体と瓦礫と怨恨と傷だけだ。勝ったと言われる側は、その上に正義だ、大義だ、勝利だと厚化粧をするが、一皮むけばその下には負けた側と同じ惨状が広がっている。いや、勝ったとされる側は、傷を厚化粧で隠す分、余計たちが悪いかもしれない。
それがわかっているから、二度の世界大戦の後、世界中で厭戦機運が高まり、平和を目的とした国際機構を作ろうとする機運が生まれた。ほんの僅かの間ではあるが。
喉元すぎればなんとやら。いつの間にか戦争は記号に、戦死者は数字に、被害はセピア色の映像に変わり、リアルからヴァーチャルなものにされていく。ヴァーチャルになってしまえば、あとは妄想の暴走まで紙一重だ。かつての栄光、強かった我が国etc、etc。厚化粧でゴテゴテに飾られたノスタルジーが人々から理性を奪い、短絡的感情が記号と結びつく。
世界中に戦争の陰が広がっている。この国もすでにそうだ。我々もまた、リアルな「死」を見失っている。
ウクライナの話ではない。これは戦争すべてに共通だ。善も悪も、攻撃も防御も、前線も銃後もない。戦争が残すのは、遺体と瓦礫と怨恨と傷だけだ。勝ったと言われる側は、その上に正義だ、大義だ、勝利だと厚化粧をするが、一皮むけばその下には負けた側と同じ惨状が広がっている。いや、勝ったとされる側は、傷を厚化粧で隠す分、余計たちが悪いかもしれない。
それがわかっているから、二度の世界大戦の後、世界中で厭戦機運が高まり、平和を目的とした国際機構を作ろうとする機運が生まれた。ほんの僅かの間ではあるが。
喉元すぎればなんとやら。いつの間にか戦争は記号に、戦死者は数字に、被害はセピア色の映像に変わり、リアルからヴァーチャルなものにされていく。ヴァーチャルになってしまえば、あとは妄想の暴走まで紙一重だ。かつての栄光、強かった我が国etc、etc。厚化粧でゴテゴテに飾られたノスタルジーが人々から理性を奪い、短絡的感情が記号と結びつく。
世界中に戦争の陰が広がっている。この国もすでにそうだ。我々もまた、リアルな「死」を見失っている。
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