民主主義ではなくて…2022年10月08日 16:38

 「センセイ」たちは票が欲しくてしようがない。

 票を持ってきてくれるなら、いつでもどこでも誰とでも仲良くなる。

 これでは「民主主義」ではない。「票主主義」だ。

 「人」ではなく「票」がすべて。これでは「票」の後ろにいるはずの実体である「人」はしらけるばかり。「人」はただの数に過ぎないのだから。

 ただの「数」にされるのなんかまっぴらだ。そんな当たり前のことを感じる人の足が投票所から遠のくのは不自然ではない。

 そして「票主主義」は票の数をかき集めることのできる集団に有利な社会を作る。「民」はその集団が手に入れた権益に縛られて支配される。そこに多様性など反映されるはずもない。

 やがて「〇〇一強」などという不自然極まりない社会が生まれる。「一強」親衛隊も発生する。ここまでくれば恣意的独裁国家まであと一歩だ。そしてそんな社会を維持するために投票を強制し、監視し、選挙が茶番化する。

 そんな流れにNoを突きつけるには、やはり票の力を使うしかない。その結果として国政が混乱するリスクを受け入れるか、それとも独裁政権による将来の国の荒廃を受け入れるか。手遅れになるとまた国土が焼け野原になるのは歴史が証明している。苦渋の選択だが、自由と平和は「不断の努力」で守るしかない。核兵器が存在する今、「焼け野原」になってやっと目を覚ますようでは本当に手遅れなのだから。