「メイジーの瞳」を観る2022年11月22日 20:03

 「メイジーの瞳」を観る。2012年アメリカ映画。スコット・マクギーとデヴィッド・シーゲルが監督した作品。

 6歳のメイジーの両親の仲は冷え切っていた。父親は美術商で出張ばかり。独善的で女性にもややだらしない。母親はミュージシャンで、メイジーを溺愛するがこれもまた自分勝手。都合のいいときは溺愛するが、仕事となるとメイジーのことは後回し。ミュージシャン仲間やその取り巻きも、お世辞にも教育的とは言えない連中が多い。メイジーの友達の女の子がお泊りにきてその連中を見て泣き出して家に帰ってしまうほど。

 離婚後、メイジーはかつてのメイジーのナニーだったマーゴと再婚した父と、音楽活動している母親の間を行ったり来たり。母親もメイジーの親権を取り戻したいばかりに、取り巻きの一人だった朴訥なバーテンダーと再婚するが、ツアーで飛び出してどこかへ行ってしまう。父親は仕事で飛び回り、相変わらず新妻マーゴをほったらかし。結局メイジーは父の再婚相手のもとナニー、マーゴと母親の再婚相手、バーテンダーのリンカーンが世話するようになる。

 生みの親より育ての親という言葉を地で行くような話だが、暗さは感じない。ジメジメしないのがいいところだし、メイジーが日本のこの手の作品の子役のようなお涙頂戴キャラでないのがまたいい。メイジーはちゃんとその瞳で大人たちを見て、彼女なりに理解し、彼女なりにしっかりと生きている。この作品で一番大人なのは6歳のメイジーなのかもしれない。メイジーの両親の未熟な大人っぷりとは好対照だ。

 ラストの余韻も爽やかで、希望を感じる。暑苦しい感動ポルノではないので、もちろんお涙頂戴もない。こういう心地よいドライさは、日本やアジアではなかなか見られない世界観だが、心地よい。メイジーにすべてを持っていかれそうだが、きちんと大人もいい味を出している。そういうところも日本の同種の作品に比べて一歩先を行っている。