「傷つきやすいアメリカの大学生たち」を読む2023年01月01日 07:06

 「傷つきやすいアメリカの大学生たち」を読む。グレッグ・ルキアノフ、ジョナサン・ハイト両著。

 アメリカのiGen世代(Z世代)のメンタルヘルスの悪化や大学での暴力的な講演妨害などを取り上げたもので、2018年に原著が出版されている。邦訳は2022年末出版なので、アメリカでこの本に取り上げられた大学生は現在おそらくすでに社会に出ているだろう。

 しかし、内容はアメリカの大学生にとどまらず、今の日本の小中学生、高校生にも十分当てはまる。リスク回避、過保護、過干渉、責任意識の低さ、ギャングエイジの消失、そして精神的成長速度の低下など、この本が指摘している内容は現代日本でも全くと言っていいほど重なっている。もっとも「はじめてのおつかい」がテレビコンテンツとして成立しているのはアメリカよりもまだましか。アメリカであんなことをしたら、保護者を警察が逮捕するらしい。

 本書が提示する3つのエセ真理というのも印象的だ。
1.困難な経験は人を弱くする
2.常に自分の感情を信じ、疑ってはいけない
3.人生は善人と悪人との闘いだ

 日本のサブカルでは、1は完全否定と言っていいだろう。スーパーヒーローはこのエセ真理を否定しないと成立しない。3も、善悪相対化という視点をすでに日本のサブカルは当然のものとして受け取っている。あの「ショッカー」の戦闘員ですら、サラリーマンの共感を呼ぶ存在として受け取られているのだから。子供の時分からこういう価値観を受け止めているのであれば、この2点の胡散臭さには気づけるだろう。

 だが、2に関しては、ブルース・リーのセリフが共感されていることからも危なさを感じる。理屈ではなく感情、感覚を重視するのは同調圧力の根源であって、この部分はむしろ日本のほうが危険だ。3つのエセ真理はどれも危険だが、日本では2の視点が大きな問題となると思われる。

 3つのエセ真理に、治安悪化による「安全イズム」が相乗され、社会が子供に過保護、過干渉を起こすことになっていると本書は述べているが、「安全イズム」は日本でも全く同様。ところが2022年末、あるTV局が学校不登校傾向の小学生たちが生き生きと遊ぶ、大人が子供に干渉してはいけないというルールの公園の様子を放送していた。雨の中でも、泥だらけになりながら、びしょ濡れになりながら、子どもたちは生き生きと遊び、笑い、問題を解決している。そんな子どもたちが学校では「死ね」と罵声を浴びせられ、学校から足が遠のいたという。そして子どもたちの口から出るのが「学校は何もしてくれない」。「逃げるは恥だが役に立つ」という表現は流行ったが、この場合恥でなどない。「逃げるが勝ち」だ。

 救いもある。この公園での子供の様子を知った学校が動きを見せたということだ。学校だってただ傍観しているわけではないということ、自分の不足を認めて変わろうとすることのできる組織であることを示すことが、たとえ少数の学校でもできたのは希望でもある。

 そしてこの本のラストも、希望を感じさせる。単なる告発になっていないのがいい。

ミシェル・ウェルベック「服従」を読了2023年01月02日 11:55

 ミシェル・ウェルベックの「服従」を読了。

 フランスが2022年の大統領選挙で極右勢力と穏健イスラーム勢力の決選投票となり、穏健イスラーム派の政権が樹立されたという想定の作品。

 主人公は大学教授。どちらかと言えば世捨て人タイプ。研究対象がユイスマンスなので、なるほどとも思える。若い恋人(教え子)もいる。この辺は日本ではスキャンダルになりそうだが、この作品ではどうやらたいしたことではないらしい。この小説がそうなのか、フランス社会がそうなのか…どちらかと言えば後者だろう。

 国内の政治状況は不穏化し、テロが発生。移民に対しても反目が強まる。恋人も家族とともにイスラエルに脱出。そして主人公はムスリムでないことを理由に大学を解雇される。もっともイスラーム勢力にはオイルマネーのバックがあるので、解雇後も年金は従来給与なみに支給され、生活には困らない。改宗して大学に残ると、皿に高給が支給されるという具合。

 人嫌いの厭世家の主人公は、次第に自分が衰えていくのを感じ始める。だがそれはヨーロッパそのものの衰退とリンクしている。この「衰退」の感覚が全編を通してのトーンとなっている。厭世と社会や政治、人事への無関心を基本スタンスとしていた彼は、やがて大学復帰のオファーを受けるのだが…

 自由は孤立とつながり、衰退は無気力や無思考とつながる。その弱さを突き付けられる作品。ドラマティックではない分、じわじわと雰囲気に侵食されるような感覚に囚われた。ヨーロッパを覆う社会の空気を改めて認識させられた。マスコミが流すヨーロッパのイメージは、本当に表層的なものなのだろう。

「コーダ あいのうた」を観る2023年01月03日 10:56

 「コーダ あいのうた」を観る。2021年のアメリカ・カナダ・フランス合作映画。というより、2014年のフランス映画「エール」のアメリカ版リメイク。いろいろと評判になっていた作品だが、少々この「リメイク」というのが気になって腰が引けていた。

 手堅く、いい話にまとめてある。この作品単独であればなんの問題もなく、いい作品ということになるだろう。基本軸はオリジナルとほぼ同じであり、予想をいい意味で裏切って、ちゃんとしたリメイクになっている。普通の良質のアメリカ映画といっていいだろう。

 だが、いかんせん、リメイクである。オリジナルの「エール」を観てしまっている以上、やはりオリジナルとの比較なしでは語れない。

 農業が漁業に変更されている。そこで主人公一家のトラブルが発生するわけだが、ここにはオリジナルにはないアメリカ映画的な盛り上がりが演出されている。しかし、このトラブルが唐突な感じを
与えてしまう。今更そこをトラブルにするのかという疑問が頭をよぎってしまう。

 オリジナルでは主人公の弟のませガキが、口は悪いが妹思いの責任感のあるマッチョな兄になっている。主人公の親友が彼と深い仲になるのは同じだが、この変更のおかげで、冒頭のクリニックの伏線が完全に壊れてしまっている。この部分に限らず、性に対するスタンスは明らかにオリジナルのほうがあっけらかんとしている。どちらかと言えばリメイク版は日本の性の受け止め方のスタンスに近い。だからかえって主人公の両親はリメイク版では「お盛ん」な夫婦といった感じに受け取られてしまう。

 オリジナルでは政治的な色合いが強かった父親の行動も、リメイクでは漁業営業権の問題、つまり漁師が直接魚介類を販売するという、どこかのテレビドラマ(実話がベースだが)と似たような設定に変わっている。このあたり、オリジナルの障碍を持つ人の政治参加という意識はリメイク版には薄い。母親が依存度の高い自立しきっていない存在になっているので、オリジナルのように外交的でテキパキと物事をこなすという存在感が強くないのも残念。

 主人公のライバル的な彼氏の存在感も圧倒的にリメイク版は希薄。だから主人公の劣等感はひたすらいじめのトラウマに限定されている。音楽教師もちょっと風変わりな熱血教師。オリジナルが持っているエキセントリックで屈折した、それでいていいところをさらっていく憎めない教師と比べて陰影が浅い。

 そして…残念ながら肝心の歌が…これはもうオリジナルにはかなわない。決して下手ではない。上手いのだが、声量、音程、声の深さ、ともにオリジナルには及ばない。もともと漁船の上で大声で歌っているリメイク版には、自分の本当の声の力を初めて引き出されてパニックに陷るといったオリジナルの持つ衝撃はない。

 よくできたリメイクだが、変更点が功を奏するというより、オリジナルの持つ陰影をやや平坦にして口当たり良くしているように感じた。その根底には、ヨーロッパの歴史や文化の重みと、それに比べてアメリカの歴史や文化の軽さとがあるようにも感じる。ヨーロピアンコーヒーとアメリカンコーヒーの違いのようなものか。

 気軽に、口当たり良く感動を味わいたいときにはリメイク版が、一歩引いていろいろと考え、じっくり味わい時にはオリジナル版が、それぞれいいのではないだろうか。

仕事初め2023年01月04日 20:50

 仕事初めだ。もっとも販売関係のお仕事をされている方にはあまりそういう区切りは感じられないかもしれない。正月三が日は家でじっとしているなどということは大昔のことのようだ。

 出勤するとまずデータの整理やら機材の動作確認やら。書類やメールもいろいろとあって、昔の仕事初めのようなのどかさはない。もっともメールは休日の期間もリモートで確認していたわけだが…

 効率だパフォーマンスだと言いすぎたのだろうか。せかせかと年末年始の休日を消化し、さっさと働くというのは、本当に豊かな世界なのだろうか。

 まあ、今や日本は世界の中でも「安い国」、つまりは貧しい方向に向かっているのだから、これも当然のことか。文字通り「貧乏暇なし」である。

データ整理2023年01月05日 21:06

 1年間でデータとして保存した音楽番組(音声)をまとめてアーカイブに移動。所要予定時間は17時間。1年の間にずいぶんと貯まるものだとつくづく感じる。

 明日いっぱいはPCを起こしっぱなしになりそうだ。