「友だちのうちはどこ?」を観る2023年02月13日 20:57

 「友だちのうちはどこ?」を観る。1987年のイラン映画。監督は アッバス・キアロスタミ。

 小学生のアハマッド少年は、隣りに座る友達のネマツァデ君のノートを間違えて持って帰ってしまう。ネマツァデくんは過去3回宿題をノートに書かずに提出してこっぴどく先生に怒られ、今度同じことをしたら退学だと脅されている。アハマッドはネマツァデの家にノートを返しに行こうとするのだが…

 と、まあ、話はそれだけだ。しかし、周りの大人たちの子供に対する扱いのひどいこと。子供の話などハナから聞く気がない。比較的アハマッドに優しい母親でさえ、息子の話をまっとうに聞こうとしない。とっとと宿題をやれといいながら、1分も経たないうちにアハマッドに用事を頼む体たらく。

 学校の教師も同様。おためごかしのような理屈をこねるが、子供の生活実態や置かれた環境などについては完全無視。

 アハマッドの祖父にいたっては、子供をしつけるにはぶん殴るのが一番。悪いところのない子供なら、適当にいちゃもんをつけてぶん殴るのが教育だ。自分たちもそうだったと平然と言い放つ。大人たちも地域の住民たちのことをあまり知らない。アハマッドに協力的な大人は、最後近くに登場する時代遅れになった職人の老人ぐらいだ。

 アハマッドもどこか萎縮した感じの子だ。ハキハキと言いたいことを言わない。要領よく説明しない。時々その場のがれの嘘をついてはすぐに見破られる。そんな彼が、それでもくねくね道を何度も往復しながら、友達を助けるために奮闘する。

 役者は使わず、素人を起用したというのは、デ・シーカの「自転車泥棒」やヴィスコンティの「揺れる大地」を連想させる手法。ラストでアハマッドが取った最後の手段は、あのろくでもない教師ならアハマッドの思うつぼに嵌って当然か。

 腹立たしい大人たち、煮えきらない子供、でも、どこか憎めない、カラッとした作品。色々と当時のイランの時代背景を重ね合わせると深読みもできる。