忖度の正体2023年02月18日 16:19

 最近は多少鳴りを潜めた感がある「忖度」という言葉について。

 なぜ「忖度」しなくてはならないかと考えてみると、「忖度」しない場合、相手と自分との関係に不都合が生じるということが最大の理由だろう。

 「忖度」するのは自分なので、自分の言動が相手になにがしかの「被害」「損害」を与える状況が「忖度」の発生する条件ということになる。

 さらに相手に「被害」「損害」が発生し、自分と相手との関係に不都合が生じるということは、相手に与えた「被害」「損害」が自分に対しても「被害」「損害」を与える結果となるということになる。つまり「忖度」とは、相手にダメージを与えることで受ける自分自身のダメージを事前に回避する防衛行動ということになる。となるとここで「忖度」する側がされる側から「被害」「損害」を受けることが想定されていなくてはならない。「こんなことをすると絶対にひどい目に合わされるからやめておこう」という考え方だ。

 これはつまり、間接的に相手が自分に脅威を与えているということだ。一種の「脅迫」と言ってもいい。

 「忖度」のあるところ、「忖度」される相手からの「脅迫」「圧力」「威圧」が存在していることになる。当然そのような圧力を与える能力が「忖度」される側に存在していなければならない。そういう能力を通常「権力」と呼ぶ。

 具体的な脅迫の存在を想定し、その回避として「忖度」を行うのは、示威活動とその結果そのものだ。いずれにせよ権力による「脅迫」が「忖度」の本質と言っていい。

 もちろん「権力」にもいろいろある。時代遅れで論理性のかけらもない耄碌頑固オヤジやら、劣化したオバタリアン(これも古い言い方だが)やらのわがままに始まって…以下略!