アナログレコードの復権2022年12月06日 20:30

 アナログレコードが復権している。CDやデジタル配信より「音が良い」と感じる人が多いらしい。

 まったく同じアルバムや曲を聴き比べたわけではない(新譜アナログレコードなど高額で、お試しで買ってみるほどの懐の暖かさはない…)のだが、確かにアナログレコードの音は決しでデジタル音源に負けているとは思わないこともある。いや、結構いい音だと感じてしまうことのほうが多い。

 デジタル配信の低ビットレートMP3音源とLPを比べるのは、明らかにアナログレコードに失礼だ。デジタル音源(ハイレゾ含む)との勝負でも、そんなにアナログレコードはひけを取っているとは思えないこともある。

 近年のデジタル音源は、特に国内音源はそうだが、「海苔波形」だ。自然楽音ではありえない、コンプレッサーとノーマライズで一様化され、「音圧」という奇妙奇天烈な客寄せ効果特性を最優先したリマスターが行われている。

 アナログレコード全盛期にはそんな音いじりはされていない。RIAAカーブに準じた周波数特性の調整、音溝間隔の物理制限と、針のトレース能力(コンプライアンスとは、昔は針のトレース能力を指す言葉として外来語化した。別表現は「トラッカビリティ」)の限界による歪(ビビリ)の発生という物理制限の中での調整という意味でのリマスタリングが行われていた。

 新譜アナログレコードがデジタル音源とどう違うか。少なくとも物理制限やRIAAカーブに合わせた周波数特性調整というリマスタリングはデジタル音源ではありえない。もしかして、これらの作業がアナログレコードの「良い音」を作っているとすれば、問題はアナログレコードが復権した点にあるわけではない。

 デジタル音源のリマスターによってデジタル音源のクオリティが「低下」し、アナログレコードのクオリティを「下回った」ことが、アナログレコード復権の原因だとしたら…

 そんな「低下」した音源を「忠実に」再生する優れた機材が「悪い音」を再生すると低評価を受け、「低下」した音源を「いい音」に見せかける怪しげな機材が「優れた機材」と高評価される…

 日本の音響メーカーが凋落した原因も、そこにあるのかもしれない。

「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」を観る2022年07月26日 20:41

 「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」を観る。2019年のアメリカ・カナダ合作映画。

 ザ・バンドの結成と解散にいたるストーリーを描いた作品。バンドメンバーの仲違いによる決裂がザ・バンドを解散させた(後に再結成したときもしこりが残っている)わけだが、その当事者の一人であるロビー・ロバートソンの書いた本をもとに作られたドキュメンタリー映画。

 当然ながら、ロバートソンの見方がメインになっているので、確執の相手であるリヴォン・ヘルム(すでに故人)の見方はこの作品に反映されてはいない。そこが気に入らない向きもあるようだが、だからといってこの作品の価値が大きく減じられることはない。

 ボブ・ディランとの苦しかったツアーや、成功の陰でのトラブル、そして解散コンサート「ラスト・ワルツ」のそうそうたるメンバーの映像を観るだけでも価値はあるというもの。

 スコセッシが監修した「ラスト・ワルツ」も観たくなった。

海苔波型2022年04月17日 16:53

 今のCDの音をPCで取り込んで、波形を見ると、大抵の場合、波形はギザギザではなく、ほぼべったり。

 四角い味付け海苔のような波形なので、海苔波形とも呼ばれるらしい。もちろん音楽としてもこれは不自然。だが、音圧をあげる(配信や放送でボリュームが大きく聞こえて耳につきやすいため、CM効果が狙える)ため、リマスターやらなにやらで、この形にしてしまうらしい。

 邦楽では海苔波形の上にすでに音割れまで起こしているものまである。洋楽も事情はあまり変わらないが、それでも音割れまでひどいリマスターは最近は減っている。

 同じ曲でも、古いCDは海苔にされる前の波形で記録されていることがあり、そういう古いCDは、たしかに音圧が低く感じて、スマホなどの貧弱な環境では音が小さくなるし、海苔波形のほうがよく聞こえるような気もする。

 だが、ちゃんとしたスピーカーとアンプを通して聞けば(高級品というわけではない。家電店で手に入るミニコン程度)、海苔波形ではない曲には、演奏している場所の空気感のようなものがはっきり感じ取れる。海苔波形ははっきり言って「下品」に感じる。もちろん「下品」な音でないとつまらない曲もあるし、「下品」な音のほうが聴く人の歴史において好ましい場合もある。「上品」だけでは音楽はつまらない。

 それでも、アナログレコードが復権し、「音がいい」と若者たちに受け入れられるのは、アナログレコードには海苔波形をわざわざ作る必要がないからではないか。海苔波形には、CDの中にいかに無駄なく音を詰め込んででかい音を聞かせるかという、算盤勘定が見え隠れする。ある意味「しみったれ」たテクニックだ。

 「上品」も「下品」も、道楽なのだから、「しみったれ」と「効率」は相容れない。音圧が足りなければボリュームを上げればいいという人もいるが、フルボリュームの振動に耐えられる筐体をもったゼネラルオーディオは少ないし、ヘッドフォンやイヤフォンでそんなことをすれば、あっという間に難聴だ。海苔波形を作るのは簡単で、コストもさほどかからないだろう。それは「効率」なのだろうが、安価でフルボリュームでもビビらない、まっとうな筐体の再生機器を作るほうが道楽としては「上等」のような気がする。もちろん「上等」と「上品」は同じではない。

 そういえば100均などでもよく目にするスマホ用のミニホーンシステムは、そういう「上等」な工夫の商品なのだろう。本気でスマホ用のスピーカーホーンを木製で作成する人もいて、再生音を聞いたこともあるが、なかなかいい音(モノラルだが)だった。

 料理も音楽も(その他も)、やっぱり「上等」を狙うと、最後は自作に行き着くのかもしれない。

「アメリカン・ユートピア」を観る2022年04月05日 23:31

 「アメリカン・ユートピア」を観る。2020年、スパイク・リーが監督した、デイヴィッド・バーンのコンサートツアーをもとにした2019年のブロードウェイのショーの映画化。

 トーキング・ヘッズのフロントマンだったデイヴィッド・バーンが2018年に発表したソロ・アルバム「アメリカン・ユートピア」は、ラジオで発売当時流れた曲に惹かれて即購入、気に入ったアルバムだった。当然この映画も観たかったのだが、なにせCOVID-19の最中、おまけに地方のシネコンではこのようなコンサート映画はかけてもらえない。配信でやっと観ることができた。

 冒頭、大脳の模型を前に座るデイヴィッド・バーンからショーは始まる。大脳の接続は成長に連れて失われていくと語るバーン。その伝で行くと、私はずいぶんおバカなのだろうと観客の笑いを誘う。2019年、バーン御年67歳。

 しかしなんともパワフル。身のこなしもシャープ。語りもユーモアに富み、そして筋の通った政治に対する姿勢。日本では政治を語ると叩かれるのが音楽界なのだから、羨ましい限り(立派に成人しているきゃりーぱみゅぱみゅが政治を語って失礼千万な発言を投げかけられた一方で、彼女の発言時より若い18歳に投票しなさいというとんでもなさよ!)。

 バンドも白人高齢男性のバーンを中心に、様々な年齢、様々な出自であり、バーン自身も移民と語る。多様性を具現化したようなバンドが、それぞれのパフォーマンスを披露しながらステージを組み上げていく。

 人種差別による犠牲者の名前を呼ぶ曲。もっとも差別する側に属するバーンが、差別する側に属する観客をも巻き込んで、プロテストする。剥き出しの怒りも、過剰な懺悔もなく、共感と鎮魂と反省を込めて。

 終盤、バンドのメンバーがそれぞれのメンバーに合唱して挨拶をするシーンがある。キリスト教のミサで行われる「主の平和」を祈り、互いに挨拶を交わす行為を思わせる。宗教は決して排他の根拠ではなく融和の根拠になりうることをさり気なく示すシーン。

 選挙についての言及もユーモア混じりにチクリ。これはアメリカに限らず、日本でも同じだ。

 ラストは客席にバンドが降りて一周。トーキング・ヘッズ時代のあのヒットソング、日本でもホンダの大ヒットしたコンパクトカーのCMソングでおなじみの曲。このショーの文脈で聴くと、また違った意味合いを感じることができる。

 もちろん、スパイク・リーという監督の作品性で切り取ったショーなのだから、それに違和感を感じる人もいるだろう。しかし、バーンが訴えたかったことは間違いなく伝わっている。むしろ音楽と政治を別物と捉えている我々の方がリーやバーンにとって違和感を感じている存在なのかもしれない。

 アルバムのように、何度も楽しめる、そして考えさせられる、しかし重苦しくなく、優しく、力と希望を与えてくれる作品。

追悼 テイラー・ホーキンズ2022年03月29日 22:25

 フー・ファイターズのドラマー、テイラー・ホーキンズが急死。

 フロントマンのデイヴ・グロールがもともとドラマーなのだが、その彼がドラムスを任せたのたホーキンズ。ダイナミックで切れのあるドラムは魅力的だった。

 またしばらく、フー・ファイターズの曲を聞く日が続きそうだ。

 冥福を。