「ブラック」状態の子どもたち2023年10月04日 09:21

 厚生労働省が「睡眠指針」の改訂原案を発表した。それによると…

 成人6時間以上
 1~2歳児11~14時間
 3~5歳児10~13時間
 小学生9~12時間
 中学・高校生8~10時間
 子どもは、米国睡眠医学会の推奨時間と同じということらしい。

 仮に中高生の睡眠時間を10時間と設定する。「睡眠の質」を言い訳に睡眠時間はそんなにいらないという意見もあるが、逆に言えばそれだけ必要な人もいるわけで、そういう人を排除するような言説は弱者切り捨て以外の何物でもなく、人不足・少子高齢化の現代では到底容認できない暴論だ。

 24-10で、起床時間は14時間。学校が始業から放課までを0830〜1530とすると、7時間。14-7=7時間。通学については差が大きいが、高校生が電車通学等をすることを考え、往復60分として7-1=6時間。家庭での朝食、夕食、入浴を(非常に少なく…早めしとなんとかは芸のうちという戦前軍隊のようなスタイルではある)60分と仮定して6-1=5時間。

 残り5時間だが、これに昨今世間で取り沙汰される部活動を考える。1600〜1900ぐらいの拘束時間が実際には標準的なところだろう。とすれば、3時間。5-3=2時間となる。

 多くの中高生は塾に通っているとして、2時間で通塾+学習が収まるとは思えない。
 通塾や通いごとがなくても、中高生が自由に使える時間はわずか2時間。もちろんこの中に「予習・復習」が含まれるし、英語・数学の教員に言わせれば、そんな学習時間では足りないというのは(私の経験からも)必定だ。これではゲームやスマホはおろか、数少ない学校推奨娯楽である「読書」すらままならない。自ずと睡眠時間を削るしかない。部活動に参加しないという選択肢ももちろんある(というより、10時間睡眠を保障する限り、部活動が中高生の生活に介入する余地などどこにもない)が、推薦入試や入社試験での「ガクチカ」偏重を考えると部活動不参加は子どもたちや親にとっては不安だろう。しかしこの生活モデルを強いるのは、ブラック企業と何ら変わりがない実態と言える。

 小学生なら12時間睡眠を確保となる。起床時間は12時間。学校拘束時間は中高とさほど変わらないので7時間とすれば、12-7=5時間。通学は往復30分としても、食事や入浴はゆっくりだろうから、通学、食事、入浴トータルで2時間とすれば中高生と変わらない。5-2=3時間。もちろん塾やお稽古ごと、スポーツクラブその他諸々を考えれば、もう残り時間はない。これまたブラック。

 睡眠不足は抑うつ傾向の高まりや学業成績の低下につながる。2022年の文部科学省の「児童生徒の問題行動・不登校調査」で、不登校の小中学生は約29万9千人となり、過去最高。いじめも小中高などで約68万2千件、被害が深刻な「重大事態」は923件と、これまた過去最高。小中高生による暴力行為も約9万5426件と、こちらも過去最高。「寝ずに働け」「四当五落(さすがに死語か}」「24時間働けますか」の結果、多くの人が心身を壊している。上記の結果は子どもたちの悲鳴以外の何者でもない(大人も「過労死」し、自ら命を断つ)。

 コロナ禍明けで学校活動が広がったのも原因だろうが、企業どころか学校(そしてそのシステムを支えている受験産業や社会そのもの)がこれほどブラックな生活を子どもたちに強いているのなら、子どもたちが「問題行動」に走るのは当然だ。かつての「構内暴力」「荒れる教室」は、暴力(愛のムチと称する権力濫用)と脅迫(内申書に響くぞ!)と不審(放っておけばこどもは勉強しないし、ろくなこともしない)で抑え込んだ。そのツケが社会人となったかつての子どもたち(=親たち)の学校不信とモンスターペアレント化を生んだのだから、自業自得だ。もうこのような愚かしい手は使えない(が、ノスタルジーに溺れた多数の業界人はそれが理解できない)。「教育虐待」という言葉があるが、上記のブラックさは社会全体の子どもたちへの「教育虐待」と言えるように思えてならない。

 日本社会は、子供を抑圧と恐怖で抑え込み、少年兵士にさせるような非道な所業を非難できるような子供への接し方をしているだろうか?

 それに加えて、文部科学省と厚生労働省がお互いの成果をきちんと共有しているのだろうか。

ノスタルジーと揺り戻し2023年10月03日 20:43

 変化が速い社会では、ついていけない人間が大勢生まれる。ついていくのに手一杯の人は、ついていけない人に手を差し伸べるゆとりもない。だからついていけないのは「自己責任」。しがみつかれてはたまらないので冷たくあしらうより他にない。

 ついていけない方も、別に能力が低いわけでも、自己責任を果たしていないと言うわけでもない人が多い。そういう人は自分たちを冷たくあしらう「エリート」に反感と憎悪を抱くようになる。

 ついていけない人は、憎悪の対象である「エリート」に目を向けることなく、過去の社会に安住しようとする。ノスタルジーはこの心性によって大きく増幅する。

 ノスタルジーは過去であり、地方や周辺部であり、失われつつあるものによって表象される。そして多くは過去の既得権益への執着や回帰、無批判な過去の美化へと暴走していく。「美しい〇〇」などと過去の事物や伝統的な事物について言い出したら、危険信号と考えていいだろう。すべてがそうだとは言わないが、安心できる言説とはいい難い。なぜなら「美しい」という感覚の定義がなされないことが多いからだ。「美しい」の厳格な定義とそれを導く厳密な思考は、そうそう簡単にできるものではない。美醜が表裏一体であることですら少なくない。

 考えてみれば、世界中どこでもノスタルジーの影には「男性天国」「力の正義」「権力を背景にした恣意」が必ず見え隠れしている。過去の社会がそうだったのだから当然だろう。文化・学術に背を向けるスポーツ界、前近代的興業システムによる支配体制をいまだに引きずる芸能界、権威主義によって閉塞していることにすら気づかない芸術界、既得権益と利権にがんじがらめの政界、ナンバーワン幻想に囚われて常軌を逸する世界政治、そしてそれらを陰日向に支える大勢の「ついていけない」有権者。

 変化はもう止めることはできない。ついていくしかない。それは100年以上も前に夏目漱石が喝破している。分断の現実と問題点を把握し、対策を考える「変化」もまた早急に求められている。休んでいる暇はなさそうだ。もう世界は、この国は、傷み始めているのだから。

「スイカゲーム」2023年10月01日 16:58

 家人ともども「スイカゲーム」にはまっている。最初はYouTubeの動画配信で眺めていたが、面白そうということで購入。200円台なので懐にはこの上なく優しい。

 基本は落ちものゲーム(「テトリス」や「ぷよぷよ」などが代表的)なのだが、落ちてくるのがフルーツで、同じフルーツをひとまとめにすると、別のフルーツが生まれるというのがポイントの一つ。落ちてくるフルーツは全種類の半分程度、最大のフルーツ(実際は野菜なのだが…)である「スイカ」は落ちてこない。自分で作るしかないということになる。どのフルーツをまとめればどのフルーツが生まれるかは明示されているので、そこに偶然性はない。

 だが、2つ目のポイントは「物理法則」があること。フルーツは丸く、質量も当然あるわけで、軽くて丸いチェリーなどはよく跳ね、転がる。他のフルーツも基本は球形なので、積み上がるとじわじわと転がり、ズレていく。タイムレース形式ではないので、積み上がったフルーツがじわじわ落ちて連鎖を作るのを待つのも戦略。

 単純な(そしてキャッチーな)BGMも秀逸。単純だが中毒性は高い。しばらくはハマりそうだ。

気が抜けた2023年09月30日 22:07

 半年がかりのプロジェクトがやっと終了した。片付けも終わり、帰宅したのは昨夜2300過ぎ。さすがに気が抜けた。

 体調にも若干不安があるので、昨夜はシャワーを浴びてすぐに寝た。今日は休日、すこしのんびりできた。

いつまで経っても猛暑2023年09月28日 21:12

 いつまで経っても猛暑だ。

 朝晩はいくらか過ごしやすくなったとは言え、日中は相変わらず熱中症注意。夜明けは日に日に遅くなり、日没は日に日に早くなっているのに。

 ことしも秋はすっ飛ばされたまま冬になるのだろうか。それとも冬も暖冬になるのだろうか。予報では暖冬らしい。かつては酷暑のあとには厳冬だったとおもうのだが…

 地球温暖化か。