ノーベル賞2016年10月04日 23:13

 ノーベル賞受賞の報が今年も届いた。

 基礎研究の成果が認められたのはすばらしい。長期にわたる、保証のない地道な研究に対する賞賛と現世のご褒美としての賞金、こういう賞が存在することがめでたいことだと思う。

 危惧も数年前から言われている。バブルの頃は、基礎研究に予算を出すことができたが、景気後退後はそれが削減され、基礎研究の種が撒かれていない。大学院進学率も低下しているなど。

 経済界は基礎研究に必要な十数年から数十年スパンでの経済活動にほとんど対応できていない。本来の「投資」の意味を理解していないマネーゲーム株主が大量に発生して、短期配当を要求して企業の経済活動スパンを月単位に圧縮した上、広く浅く株主を求め、デイトレーダーなどを大量に発生させた結果、企業は目先の利益しか考えない株主にいいように振り回されてしまっている。これでは基礎研究に投資しようにも、株主が頷くとは到底考えられない。

 就活の惨状を見れば、大手企業が人間ではなく、単なる労働力しか求めていないことは明白だ。なんだかんだいいながら、機械にとって代われるのなら、とっととそっちに移行したい。機械ではどうしようもないのでやむを得ず採用、そういった気分が紛々と漂っている。いずれにせよ、金になる人材以外は採用する気がないし、また、前述のように株主に対して申し開きを考えれば、人件費削減によるコストカットで経営努力を説明するしかない現状では、とてもゆとりのある人員採用はできない。基礎研究などに携わって少々世間擦れが足りない学生より、実学中心の即戦力しか採用しない風潮の中で、基礎研究分野の大学院に進学したところで、飯は食えない。大学に残るにしても、経済的な安定には程遠い年月が重なる。暮らしのめどが立たない限り、研究職に残ることなど難しい。そんな人間を食わせてくれるところがなくなっているのだから。

 ノーベル賞を受賞したという結果に安直に飛びついて浮かれていても、ジリ貧の危険は回避できない。経済的ということが、いつからこんな「貧しい」社会を生む活動と化してしまったのだろう。