痛ましい事故2016年10月28日 22:44

 87歳のドライバーが停車中の軽自動車に追突、横転し、その下敷きになった小学1年生の児童がなくなるという、痛ましい事故が起きた。

 やりきれない事件だ。まだまだかわいい、未来のある子どもの命が失われたのだから。

 そして、87歳になってもまだ運転しなくてはならないということもまた、痛ましいと言っていいのではないだろうか。今回の事故の背景ははっきりわからないのだが、日々の生活に必要な物資を手に入れるための施設に、自分の足では逝くことができない、俗に言う「買い物難民」の存在は無視できない。生きるためには買い物の「足」が必要だが、運転は高齢になるにつれて、自他ともに危険を伴う。

 地方になればなるほど、公共交通機関は不採算事業となる。移動は自分自身で行わざるを得ない。また、移動を他者に依存するにしても、人件費負担を考えれば、日々の移動にかかるコストも無視できない。高齢者が運転免許を返納しようにも、それが致命傷となる環境が存在している。

 無人運転などの実用化で危険がクリアできるかどうか。システムは絶対にイレギュラーに遭遇するし、その場合、人間に都合よくシステムが稼働する保証はない。人間が信用できないのと同じぐらい、システムも信用できない。

 一朝一夕に解決ができない問題だが、日々の生活と生命に直結する問題だ。リタイア後の生活において、生活に必要な行動半径内の移動を誰が、どう保証するのか。