「知っていたけど…」2021年08月05日 23:12

 「観戦自粛は知っていたけど、ちょっとだけ見てみようと思って」、国際大運動会のレースコースにへばりつく立見客。
 「コロナ感染が怖いから、五輪は反対だったけど、始まったらやっぱり応援」と、どこかの為政者と既得権益者がほくそ笑む行動に勤しむ人々。

 なぜ国際大運動会を開催すべきでなかったのか、それはひとえに、そういう連中が出現するからだ。

 思慮の浅い、目の前の快楽に甘い連中がパンデミックの最大の要因なのは、なにもコロナに始まったことではない。ペストしかり、AIDSしかり。

 そういう連中に自分のみならず自分の家族や友人の安心と安全が脅かされていると思うと、正直腸が煮えくり返る。

「ゼロ・グラビティ」を観る2021年08月17日 11:25

 「ゼロ・グラビティ」を観る。2013年のアメリカ・イギリス映画。

 なんとも小ぶりな映画だ。上映時間の短さもそうだし、淡々と進むストーリーも同様。宇宙空間は生命を拒絶する死の空間であり、そんなところに滅多矢鱈と人工衛星を打ち上げては、処理しきれないほどのゴミまみれにしているのだから、この作品で取り上げられた事故は、遅かれ早かれ起きるにちがいない。

 そのまま、ただひたすらリアルに…というわけにはいかないのは大人の事情か。死亡フラグ立ちまくりのジョージ・クルーニー、生き残りフラグ立ちまくりのサンドラ・ブロック。ラスト近くの妄想ネタまで…どこかで見たようなテイストのストーリーは、ハリウッド・ヒットメイカー・コードの基本に忠実だが、なんとなく災害バラエティの再現ドラマ風で、無機質な宇宙の静かな恐怖とは反りが合わない。

 上映時間の短さは、宇宙の過酷さを表現する厳しさ、使い古されたドラマの古めかしさから、限界だったのだろう。

 カウチポテトには最適。豪華版再現ドラマとしては秀逸か。

「桃太郎 海の神兵」を観る2021年08月17日 11:34

 「桃太郎 海の神兵」を観る。1944年の日本製アニメ。

 当然国策映画なので、そういう匂いは紛々と漂う。それを超えて当時のアニメーション表現の素晴らしいこと。過酷な国情、食糧事情、経済状況などを勘案すれば、まさにブラック中のブラック労働の中で「お国のために」「これからお国を守るために戦う少国民のために」という同調圧力の中、できる限りの情熱をつぎ込んだ作品なのだろう。

 だが、作中の命の軽いこと。

 桃太郎隊長の命で偵察飛行に出た3人(動物だが、あえて3人と表現する)は、わずか数分後に2人で帰投、あっさりと1名戦死と報告。それを聞いた桃太郎、驚愕する風もなく、平然と報告を聞く。尋問シーンの桃太郎に至っては、いやらしい軍人口調むき出し。それがまたいかにもアニメ風の可愛らしい声なのだから、背筋に冷たいものが走る。

 これこそが戦争の狂気だと言わんばかり。もちろん当時はそんなこと考えもしなかったのだろうが。

 俗に言う日本アニメ(もちろん戦後作品を指す)のなかで、これほど強烈に戦争の狂気を突きつけてくるものを見た記憶はない。

「ブレードランナー 2049」を観る2021年08月17日 11:43

 「ブレードランナー2049」を観る。

 あの「ブレードランナー」の続編。最近のリドリー・スコットがリメイクするのはどうかと思うが、今作はドゥニ・ヴィルヌーヴ。テイストは全作とは対象的と言っていいほど違う。

 前作の猥雑で喧騒に満ちた雨のパンキッシュな都市は魅力的なディザスター世界だったが、今回はむしろ静謐でどこか無機質。アジア系大画面広告は健在だが、こちらも前作のように異様な時代錯誤的日本イメージではなく、もっとポップでセクシーになった。

 ライアン・ゴズリング演ずる主人公は最初から新型レプリカントで、名前はなく記号で呼ばれるブレードランナー。だがどうやら彼の中ではシンギュラリティが起きつつあるらしい。次第に感情らしきものが芽生え始めている。ここは前作ロイ・バティのオマージュなのかもしれない。

 前作では明確にされていなかったペット問題だが、今回はAI人格として大きな意味を持っている。主人公が家にセットしているAIはとんでもなくチャーミングだが、部屋から外に持ち出せない。その彼女を主人公はポータブル端末にダウンロードし、携帯するようになる。このAIはさほど高機能なものではないらしいが、とにかく健気で、主人公に献身的に自己犠牲を捧げながら、主人公に人間らしい名前を与え、人格の形成に大きな役割を果たしている。

 ラスト近く、果てしなく続く砂漠のなかの廃墟となったラスベガスのイメージも圧巻。そう言えばヴィルヌーヴの次回作はあの「砂の惑星」だ。ラスベガスの映像を見た瞬間から、「砂の惑星」への期待度は一気に跳ね上がっている。

 上映時間も長く、静謐な描写も多い。繊細な作品と言っていいだろう。こういう続編でよかった。大ヒットはしなかったが、それは前作とて同じこと。リドリーでは絶対になしえない、新たな世界を楽しむべきだ。

「静かなる叫び」を観る2021年08月17日 11:58

 「静かなる叫び」を観る。2009年のカナダ映画。前編モノクロ。監督はドゥニ・ヴィルヌーヴ。

 モントリオール理工科大学で実際に起きた銃乱射事件をモチーフにした作品。フェミニズムによって自分の人生を狂わされたと思い込んだ若い男が女子学生を集中的に銃撃、14名を射殺、14名を傷害したという事件だ。

 作品はこの事件を時系列と中心視点をを入れ替えながら再構成する。犯人の犯行前の行動と、被害女性を助けようとして果たせなかった男子学生という、大局的な存在の二人が実は類似行動を取っているなど、単に善悪をきれいに分けるという感覚では作られていない。

 女子学生の視点では、フェミニズムというよりもっと根源的な社会的性差別の現状と、それを受け入れてしまう女性という現実が突きつけられる。全体的に事件を俯瞰し、他人事とは思わせない構成となっている。

 この作品も静謐。ヴィルヌーブはカナダ人だが、むしろフランス(もちろんカナダはフランス語圏)やヨーロッパ系の作品の香りがする。いい意味でハリウッドじみていないし、ディズニー臭くもない。

 この作品でも、香料とした見渡すかぎり白一色の雪の平原が登場する。ブレードランナー2049や、砂の惑星など、後の彼の映像の基本がすでに見られるのも興味深い。

 事件の被害者たちのその後の話も、重く辛く、だがわずかに光も見える。できればこういう映画は劇場で、ゆっくり観たいものだ。