「フランシス・ハ」を観る2022年02月07日 21:09

 「フランシス・ハ」を観る。2012年のアメリカ映画。

 前編モノクロで、スタイリッシュなコメディ映画。ウディ・アレンより、初期のジム・ジャームッシュを思わせるような雰囲気だ。

 主人公フランシスは、27歳のダンサー志望だが、素人目に見ても彼女のダンスは根本から下手。姿勢はきちんと取れないし、動きもガサツでバランスも悪い。手足も伸びない。案の定、ダンサーとしてはお役御免。

 同居していた親友も部屋から出ていき、取り残されるフランシス。彼女そのものもいつまでも成長できていない。当然周囲はいつまでもフランシスと同じようにモラトリアムを続けてはいられない。次第に行き詰まり、八方塞がりになるフランシス。

 だが、彼女は落ち込まない。幼さは衝動性に繋がり、行動力を生む。故郷にクリスマスに帰り、いきなりパリに弾丸旅行、その後は母校の大学で寮の住み込み職員と、苦しい日々は続くが、めげずに走り抜き、こだわりや根拠のないプライドを捨てていく。その疾走感を支えるのがデヴィッド・ボウイの「モダン・ラブ」。

 ラストになって、初めてこの作品のタイトル、「フランシス・ハ」の意味がわかるのもいい。ドラマとしてはこじらせ女子もので、少々苦しく感じるときもあるが、重くならない程度の短さが幸いしてバランスも取れている。客に媚びた日本独特の寒々とした子供だましの一発芸もなく、スタイリッシュな映像と音楽で仕上げたいい作品。だが、大衆受けはしないだろう…

動画編集2022年02月08日 20:47

 mp4で記録した動画ファイル2つを結合し、頭とラストの不要部分をカットしたかったので、動画ファイルをひとまずリニア編集アプリのkdenliveに取り込み、カット+結合処理をして、レンダリング。出力はmp4ファイル。

 レンダリングには時間がかかる。ひと仕事終わらせてから端末に戻ると、やっとでき上がっている次第。

 そして、ふと考える…

 ffmpegでコマンドラインからファイルを結合させて、不要部分をタイムスタンプで割り出して、ffmpegで切り取ったら…

 レンダリングの時間はもしかして節約できたかもしれない…

 GUIに毒されている自分に愕然とする。今度はこの手で試してみよう。

「白線秘密地帯」を観る2022年02月09日 21:52

 「白線秘密地帯」を観る。1958年の日本映画。監督は後に「網走番外地」を撮る石井輝男。

 明らかにフィルム欠損で、オープニングから欠落がある。ストーリーを追う分には大きな問題にはならないが、ボコッと飛んでしまうところははっきりわかる。

 売春防止法が始まり、それまでの公娼が崩壊し、売春が地下に潜っていった時代の組織売春犯罪と、それを追う刑事たちの話だが、競馬場や採石場などのシーンのドキュメンタリータッチの迫力には力がある。いかにも暑そうな東京の夏、足で稼ぐ刑事の仕事、リアリティは十分だ。

 今見ると、鑑識の観点からはありえないような捜査状況が気になったりする。殺害された男性にはまだ母親に甘えたい年頃の幼い息子がいるのだが、現代人の感覚からすれば、とてもそんな年格好には見えない。現代ならすでに老人である。男性の多くは帽子をかぶり、クールビズなどという洒落た言葉のない時代なのに、ノータイで働く男性も多い。東京の町並みも今とは全く違い、戦前モダニズムを体現するような不思議な建物もある。高度経済成長に差し掛かりかけていながら、まだ戦後の混乱期の雰囲気も色濃く残しているこの作品の東京は、戦前でも高度経済成長期以降でもない、まさに異世界のような東京の姿を残している。わずか4年前にゴジラが闊歩した東京ともまた違う雰囲気は、どこか不思議な世界でも見せられているような気分になる。

 後の大スターの思わぬ若い姿も見ることができる。いろんな意味で面白い作品だった。

逃げていく2022年02月10日 21:41

 手垢のついた表現だが、2月は「逃げる」。

 すでに10日。逃げまくりである。

 仕事やらなにやらで、追い詰められモードになってきた。

 そういうときに限って遊びたくなるのは子供のころから変わらない。

 とはいえ、アウトドアや繁華街での買い物はリスキーな今日このごろ。

 ネットで大抵のことはできるとはいえ、息が詰まる。

 気持ちもどんどん沈みがち。バラエティ番組を家族と見ていても、一瞬たりとも笑えない。笑い転げる家族を尻目に、呆然とするばかり。もっともバラエティで笑えないのは今に始まったことではないが…

 時が逃げていくばかりで、自分は取り残される感覚である。
 「我が身一つはもとの身にして」といった心境か。3連休で心の体力と免疫が回復できるかどうか。

ユジャ・ワンのショパン・スクリャービン・リストを聴く2022年02月11日 16:34

 ユジャ・ワンが演奏したショパン・スクリャービン・リスト・リゲティのエチュードとソナタ集を聴く。

 パワーとテクニックはすごい。ガンガンと攻め込むような音、畳み掛けるようなテンポ、息もつかせぬほどの演奏で、世評が高いのもよくわかる。どうだと言わんばかりの演奏テクニックには圧倒されてしまう。

 だが、聴いていて、どこか心がすうっと演奏から離れていく。こういうテクニックでぐいぐい押すタイプの演奏は嫌いではない。ハイフェッツもクライバーも、アシュケナージもこういうタイプの演奏家だったし、ポリーニもそうだ。ところが、この演奏(録音)には、なんとなく反りが合わない。演奏に入り込むというより、演奏の圧力がこちらの侵入を許してくれていないように思える。

 世評の高い名演奏家の演奏には、他にも何人か、どうしても自分と反りの合わない人がいる(筆頭はバレンボイム)。今のところ、ユジャ・ワンもその中に入ってしまっているようだ。

 もっとも、歳とともに、環境とともに好みは変わるもの。せっかちに袂を分かつより、しばらくは世評の高さを腑に落とすように聴き込んでみようとも思う。