4月になって2022年04月02日 22:28

 新入社員や新しいメンバーが職場にやってくる季節。学校は新学期。ことしはCOVID-19のドタバタが今の所ないようだが、安心はできない。

 リモートワークもその反動でまた出勤重視の傾向が強まりつつある。一気に変更を迫られれば、当然反動は起きる。新しいものに対応しきれない人間はいつの世にもいるし、そういう層が社会的に上位に位置することは少なくない。失うものが少ないものは柔軟に生きるために自分を変化させていくが、守るものが増えれば増えるほど、現状維持にしがみつくのは当然。

 とはいえ、世の中が変わっているのに現状維持というのは甘すぎる。何が起こるかわからない(それも守るものが多い層にとって都合がいい変化である可能性は低い)のだから、頭と心のストレッチも大切だ。

 縮こまって寒さに耐える季節も終わったのだから、おおらかに、活動的にいきたいものだ。

「マニフォールド・ガーデン」にトライ2022年04月03日 19:59

 ゲーム「マニフォールド・ガーデン」にトライする。

 視点を巡らせ、移動する。ジャンプもダッシュもない。ただ一つ、壁に近づくと、重力の方向が90度前方に回転する…つまり目の前の壁が床に、歩いてきた床が背後の壁になるということ。

 天井や横の壁にもずんずん進むことができる。そうやってあちこちにあるアイテムを使い、進んでいく…ただそれだけのゲームらしい。

 パズル要素は高いが、タイムトライアルがあるでもなし、クリア条件が提示されるわけでもない。

 とにかく美しくシンプルな映像の中で、ひたすらパズルを解く。こういうゲーム、好きである。

花より団子2022年04月04日 21:55

 この季節、花見と称しながら、実際は「花より団子」の方が隆盛を誇っていたような気がする。

 「団子」というのはもちろん比喩表現であって、実際は「アルコール」であったり、「BBQ」であったりと、人により千差万別。子供には露店のわたあめなんかもその一つだったかもしれない。

 ここ数年のCOVID-19のせいで、そういう「団子」を楽しむのは難しくなった。純粋に春のうららかな陽の光を浴びながら、ゆったりと、のんびりと「花」を楽しむ散歩が主流のようだ。

 そういう、まったりとしたイベントもいいのではないかと思う。昼日中から酔ってクダを巻いてみたり、BBQのあとの残骸をそこらに放置するような迷惑な輩も減っていることだし。

 もちろん、節度とマナーを守り、周辺住民や景観に気を配ることのできる人の「団子」は、これまた結構である。そういう「団子」が早く復活して欲しいとも思う。

「アメリカン・ユートピア」を観る2022年04月05日 23:31

 「アメリカン・ユートピア」を観る。2020年、スパイク・リーが監督した、デイヴィッド・バーンのコンサートツアーをもとにした2019年のブロードウェイのショーの映画化。

 トーキング・ヘッズのフロントマンだったデイヴィッド・バーンが2018年に発表したソロ・アルバム「アメリカン・ユートピア」は、ラジオで発売当時流れた曲に惹かれて即購入、気に入ったアルバムだった。当然この映画も観たかったのだが、なにせCOVID-19の最中、おまけに地方のシネコンではこのようなコンサート映画はかけてもらえない。配信でやっと観ることができた。

 冒頭、大脳の模型を前に座るデイヴィッド・バーンからショーは始まる。大脳の接続は成長に連れて失われていくと語るバーン。その伝で行くと、私はずいぶんおバカなのだろうと観客の笑いを誘う。2019年、バーン御年67歳。

 しかしなんともパワフル。身のこなしもシャープ。語りもユーモアに富み、そして筋の通った政治に対する姿勢。日本では政治を語ると叩かれるのが音楽界なのだから、羨ましい限り(立派に成人しているきゃりーぱみゅぱみゅが政治を語って失礼千万な発言を投げかけられた一方で、彼女の発言時より若い18歳に投票しなさいというとんでもなさよ!)。

 バンドも白人高齢男性のバーンを中心に、様々な年齢、様々な出自であり、バーン自身も移民と語る。多様性を具現化したようなバンドが、それぞれのパフォーマンスを披露しながらステージを組み上げていく。

 人種差別による犠牲者の名前を呼ぶ曲。もっとも差別する側に属するバーンが、差別する側に属する観客をも巻き込んで、プロテストする。剥き出しの怒りも、過剰な懺悔もなく、共感と鎮魂と反省を込めて。

 終盤、バンドのメンバーがそれぞれのメンバーに合唱して挨拶をするシーンがある。キリスト教のミサで行われる「主の平和」を祈り、互いに挨拶を交わす行為を思わせる。宗教は決して排他の根拠ではなく融和の根拠になりうることをさり気なく示すシーン。

 選挙についての言及もユーモア混じりにチクリ。これはアメリカに限らず、日本でも同じだ。

 ラストは客席にバンドが降りて一周。トーキング・ヘッズ時代のあのヒットソング、日本でもホンダの大ヒットしたコンパクトカーのCMソングでおなじみの曲。このショーの文脈で聴くと、また違った意味合いを感じることができる。

 もちろん、スパイク・リーという監督の作品性で切り取ったショーなのだから、それに違和感を感じる人もいるだろう。しかし、バーンが訴えたかったことは間違いなく伝わっている。むしろ音楽と政治を別物と捉えている我々の方がリーやバーンにとって違和感を感じている存在なのかもしれない。

 アルバムのように、何度も楽しめる、そして考えさせられる、しかし重苦しくなく、優しく、力と希望を与えてくれる作品。

この世に「秘密」なんて…2022年04月06日 21:37

 この世にもう「秘密」なんて、どこにもない。強いていえば、誰にも伝えないままの自分の心の中ぐらいにしか「秘密」はない。

 とはいえ、「しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで」という歌も1000年以上前に詠まれているから、心の「秘密」も安泰ではない。

 秘密が失われ、現実が誰の目の前にも暴露されるようになったのに、それを否定したくてたまらないとなれば、 「夢じゃ…夢じゃ…夢でござる!」とやるしかない。今風にいえば「フェイクだ!」と言うやつだ。

 「フェイク」という言葉が自分を「フェイク」する言い訳に使われるのだから、もう何が何やらわからない。こういうのはまさに水掛け論。だが、「秘密」のない今の世界にすでに水掛け論は成立しない。

 ロシアはまだ「秘密」がこの世にあると考えているのだろうか…すでに「秘密」まみれだった時代は30年以上前に潰え去ったというのに。