色恋沙汰まで…2022年04月21日 21:56

 恋愛支援?教育に「壁ドン、告白・プロポーズの練習、恋愛ゼミ」などを組み込む?

 内閣府の研究会で社会学の教授が提案したのだそうだ。

 トップに「壁ドン」と来るのだから、主体はおそらく男性を想定しているのだろう。主語省略をしているのだから、それ以下の並列表現の主語もまた男性であると考えていい。「告白・プロポーズの練習」をするのも男性、「恋愛ゼミ」の受講対象もまた男性ということか。

 底辺に恋愛は男性主導のものだという概念が紛々と漂っている。「オヤジ天国」パラダイムにへばりついた、腐臭紛々たる発想だ。

 「壁ドン」は脅迫そのもの。力による威圧によって相手を支配する行動の一つである。国産み神話ではあるまいし、告白やプロポーズを女性が行うことも「バレンタインデー」なる奇態な習慣があったこの国ではすでに不自然ではない(チョコレートという女性からの告白に鼻の下を伸ばし、血道を上げている男のなんと多かったことか)。

 「恋愛ゼミ」など、まさにいらん世話である。恋愛の仕方を指導して、それに外れれば減点でもされるというのか。

 そんな小手先の「オヤジ天国」テクニックは、青年向けのナンセンス恋愛講座にまかせておけばいい。むしろそんなテクニックを追いかけなければならないほど恋愛に不如意な状況に人を追い込むこの社会の「生き物無視」の人間認識の方を改めるべきだ。

 性愛を極端に否定し、処女受胎という離れ業まで生み出したキリスト教文化の性愛否定の根拠についての認識が薄いまま、性愛に対するタブーだけを無批判に受け入れ(そうしないと西欧列強から野蛮と思われてしまうから)、タブーによる人間性抑圧(人間も動物であることを否定し、特別視することによる歪み)からの開放としての性愛を、ただの「猥褻」としてしか捉えることのできなかった(せいで、最高裁で小説内の架空の女性主人公の不倫はけしからんという奇妙奇天烈な論述が展開された)この国の問題点は棚に上げているのだから、「社会学」とは絵空事となってしまったのかと心配にもなる。

 好いた惚れたの色恋沙汰は、個人が社会と衝突し、社会による人間性の抑圧を明るみに出し、抑圧的社会の中で人として生きようとするために重要なものであり、人が人であることを社会の暴力から守る砦の一つだ。人として誰にも侵犯されてはならない「心」の重要な部分の一つだ。それをよそからああするべきだ、こうするべきだと言われる筋合いはないし、言うべきではさらさらない。色恋沙汰を、恋愛を、未だにスケベ親父がニヤニヤ笑って楽しむエロネタ程度にしか認識していないことこそが問題の本質だろう。

 人を何だと思っているのか。