うちの庭に2022年05月02日 20:41

 うちの庭に、数年前からこの時期になると、鮮やかな赤紫の花をつける草が生えるようになった。

 最初は1,2輪だったが、きれいだったので草刈りもその草は残して刈っていた。そうこうするうちに数年経って、今年はけっこう株も大きくなっている。だからといって特に手入れをするわけでもなく放置しているのだが、まあ毎年咲くようになったから多年草だということぐらいはわかっていた。

 それにしても名前がわからない。最近はスマホで画像を撮影すると、オンラインでデータベース検索してくれるアプリもあるようなので、ものは試しとインストールし、調べてみると、答えは80〜90%の確率で…

 「シラン」

 「紫蘭」と書くのだそうだが、植物名の検索では当然ながらカタカナ表記。一瞬アプリにそっぽを向かれたのかと思ってしまった。まさかスマホにオヤジギャクを噛まされるとはと思いながら、漢字表記を見て納得。

「グラン・トリノ」を観る2022年05月03日 23:18

 「グラン・トリノ」を観る。2008年のアメリカ映画。

 クリント・イーストウッド主演、監督。渋く、重く、悲しく、それでいてどこか明かりの見える作品。ホットでもなく、ウェットでもなく、ドライに、淡々と、そしてしみじみとする。

 妻を失い、二人の息子との間の関係もギクシャクし、孫たちとも断絶している頑固で偏屈な老人、コワルスキー。今なら顰蹙ものの差別用語を連発し、愛国心の塊のような、元フォードの工員。若い神父を認めず、教会も死んだ妻の付き合いで行っていただけと言い放つが、実は朝鮮戦争従軍中の作戦で修羅場の作戦に投入され、たった一人生き延びた時、生きるためにかなり残酷な殺戮をした過去がある。本人曰く「命令されず、自分でやったこと」であるこの戦場での殺戮が、コワルスキーに消えない罪の意識を刻みつけている。そんな彼に年若い優等生的神父の言葉が簡単に届くはずもない。

 妻を失った彼も、気がつけば自分の家の回りは荒れ果て、隣にはアジア系山岳民族であるモン族の一家が入居する。差別意識剥き出しのコワルスキーだが、ひょんな事で隣の一家の親戚筋に当たるモン族のチンピラグループやらチンピラ黒人やらから隣の一家の姉弟を助けることになる。隣のファミリーパーティに半ば強引に呼ばれ、異文化との違いに戸惑いながらも、初対面のシャーマンに自分の心の傷を一発で指摘され、また、モン族の料理も気に入り、次第に彼らと打ち解けていく。
 そして事件が…

 あちこちにイーストウッドの過去作品の自己パロディが散りばめられているからこそ、あのラストシーンはいっそう衝撃的となる。伏線はたっぷり張ってあったのだが、すっかり誘導されてしまう。これはやはりイーストウッドという俳優の芸歴とイメージを知悉したイーストウッド監督だからこそできた構成だろう。いくら渋い名優でも、これにはかなわない。

 人種差別的発言が多発するが、それが誰にでも許されるわけではないことも示唆されている。コワルスキーは互いに認めあった相手対しても、歯に絹着セず、平気で悪態をつく。それはすでに差別を完全に乗り越えたがゆえの逆説的差別発言となっているのだろう。認め合えない相手には差別発言は断絶を、しかし認めあった間柄でも、過去の自分の言動を手のひらを返すように変えたりしない。過去の過ちや罪も背負い続けているキャラクターだからこその、偏屈な誠実さと言えるのかもしれない。

 また、チンピラたちも決してステレオタイプではない。差別され、差別し合い、憎み合い、怖れ合う。簡単に、綺麗事で解決できない袋小路に落ちて抜け出せないか、落ちていることにすら気づかない。そんな連中がどんどん自分を破壊してしまう。そして、力は力の報復しか生まない。

 年老いたコワルスキーと、伝統にも周囲にも馴染めないひ弱なモン族の少年タオとの交流と成長物語としても一級品。タオの存在がこの作品の希望を担っている。

 派手さはない。渋めの映画だが、いい映画だ。客寄せの話題こそ少ないが、名品。

「宇宙からの暗殺者」を観る2022年05月07日 16:26

 「宇宙からの暗殺者」を観る。1954年のアメリカ映画。モノクロ。

 まあ、50年代のアメリカのモノクロSF映画なのだから、当然といえば当然の、ツッコミどころ満載映画。巨大生物はトカゲやゴキブリの接写。エイリアンは妙ちきりんなタイツ服に意味不明の大目玉。当時のアメリカSF映画といえば、まあこんなものだったのだろう。

 ちなみに1954年とは、東京をあの「ゴジラ」が暴れまわって火の海に変えた年。クオリティの差は歴然としている。「世界のツブラヤ」と尊敬されるのも当然だとつくづく思う。貧しくてもそういう遊び心と創意工夫で魅力的なコンテンツを生むのはこの国の歴史の一部だ(歌舞伎しかり、マンガしかり、アニメしかり、ゲームしかり)。だが、これが「儲かる」となるととたんに凋落してしまう(そしてそこから脱却するべくあがく)。

 あがきながらしぶとく甦り、生き延びるのもこの国のお家芸か?

ネタバレ、倍速2022年05月08日 20:02

 若者のドラマ視聴の傾向に、「倍速」と「ネタバレ」があるのだそうだ。

 「倍速」はもちろん時間短縮のため。じっくりドラマを見るのではなく、ストーリーだけを把握したいらしい。まあ、昔から「プロ野球ダイジェスト」を見る人はいたのだし、話題をキャッチアップするだけならこれで十分とも言える(それに、今の国産ドラマの大半はそういう視聴で何の問題もなさそう)。

 「ネタバレ」は、安心してストーリーを見たいという心理らしい。ハラハラドキドキ、ラストが読めないドラマは疲れるのだそうだ。これにしても、かつての時代劇と同じパターンだろう。ラストはお決まりのセリフとパターンでスッキリなのだから、安心してみていられる。もちろん大団円まではすっ飛ばしても、ながら視聴でろくすっぽ見ていなくても問題なし。「この紋所が…」さえあれば問題ない。さすがに現代ではリアリティがないドラマだが、マンガ原作でマンガリアリティを愚直なまでに追求する今のドラマなら、かつての時代劇のようなスタンスの視聴は可能だ。

 そもそも原作もののドラマが多いのも、原作を知っていれば先がわかるからだろう。それをいえば大河ドラマや歴史ドラマも、史実による結末がはっきりわかっているから(映画「柳生一族の陰謀」のような超反則技もあるが)、安心してみていられるのだろう。

 なにも若者に限ったことではない。技術的に可能となっただけで、昔時代劇やプロ野球ダイジェストを見ていた今の中高年と何の変わりもない。今も昔も、テレビは「娯楽の箱」であり、「思想の窓」ではないということだ。

「午後3時の女たち」を観る2022年05月15日 09:45

 「午後3時の女たち」を観る。2013年のアメリカ映画。

 タランティーノがベスト10ににチョイスしたという映画だが、アクション映画でもバイオレンス映画でもない。

 ITでひと儲けした中年夫婦。可愛い幼稚園児の男の子が一人。エリートの夫は仕事で忙殺されてはいるが、家族思いの優しい男。妻のレイチェルは平凡な専業主婦に倦んでいる。夜の方もさっぱりご無沙汰、今で言うセックスレス状態で、なんとかしようとあがいてみるが、間が悪かったりだのなんだので解消できない。艶笑喜劇のパターンだ。

 ママ友夫婦と悪乗りしてストリップショーに繰り出し、そこでストリッパーのマッケナと知り合い、その後ひょんなことから彼女と同居することになって…

 あとはまあ、想像通りのすったもんだの騒動で、結局レイチェルは無神経なエリートセレブの生活からちょっと他の世界をのぞき見て、ショックを受けて、でもその世界と自分は断絶していることを思い知って…

 誘惑されてもがんとした態度を崩さない旦那は、もちろん自分たちがいる世界のことをよくわかっている。妻の意思を尊重しようとしているが、妻が自分たちの世界の外に目を向けることが理解できていない。

 レイチェルはママ友たちとも気まずくなり、夫とも気まずくなり…

 印象的なのは、ホンダのファミリーワゴンを洗車するオープニングとラスト近くのシーン。もちろん洗車はこの作品のシンボルとなっている。そしてラスト、頭でっかちな夫婦も少し「イキモノ」に戻れたようだ。

 R15+なのはテーマがテーマだけに仕方ないだろうが、本質はそこだけではない。セレブの世界観を残酷なまでに突きつける苦い(そしてある意味救いのない)笑いがタランティーノの琴線に触れたのかもしれない。