部活動って…2022年07月10日 08:58

 最近、部活動に関するニュースがいろいろと目につく。

 スポーツ指導やスポーツ界、そしてその一部に組み込まれている運動部が、残念ながら暴力の温床と化しているのは今も昔も変わらない。暴力と脅迫が横行する社会で育った子どもは、部活動の社会では上位者に従順だが、その反面として他の社会集団においては特権意識のようなものを持ち、規範意識が著しく低いというのは、大学スポーツの問題として数年前から指摘されている。ボスには従順だが、外部には不遜というのでは、「人間」社会では不適応を起こしてもおかしくない。

 事実上プロスポーツへの就職活動となっている高校スポーツの全国大会を、テレビ報道で垂れ流し、感動ポルノまがいの取り上げ方で盛り上げているのも昔から変わらない。

 現実とはかけ離れた夢物語であるマンガやアニメのスポーツを本気にして現実の指導に組み込む、あるいはフィクションと現実を混同して特定のスポーツがブーム化する(そしてその後飽きられて閑散化する)のも昔から変わらない。血の汗流し、涙も拭かず、どんと行った男の末路がどうなったか(描かれてはいる)、ほとんどの人は知らない。

 こと運動部だけではない。吹奏楽、ダンス、書道と、文化部と言われる部門も同様。高専ではロボコン目当ての入学者が増えたものの、そういった生徒は基礎学習には興味がないため、指導に苦慮しているという話も聞いたことがある。

 もっと根本的なところを考えてはどうか。

 部活動は、しなくてはいけないのか?

 もちろん、しなくてはならないものではない。するのもしないのも自由だ。ということは、部活動に参加しようがすまいが、それによってその人の人生に不利益があってはならないということだ。

 部活動参加が就職に有利という慣習もいまだにあるらしい。部活動経験者を採用するのは問題ないが、部活動に参加していない者にも全く同じ就労の機会を与えなければならない。つまり、部活動参加者を優遇してはならないということになる。プロのスポーツやその他の集団が人材を欲する場合は、受益者負担として、自分でしっかり金と時間と人力をかけて育成すべきだ。身銭も切らず、他人に(あるいは暴力的社会構造による隷属者)に育成を丸投げ(最近はアウトソーシングとも言うらしい)して、美味しいところだけさらっていくのは社会通念上受け入れられない。部活動(特に運動部)経験者は忍耐力があると巷では言われているが、その実態が単なる「服従力」である危険性は高い。変革期社会では「服従」者はお荷物でしかない。

 今の実態を理解した上で、そんな部活動になど「参加しない」とはっきり判断できる人材のほうが、よほど知的だ。もちろん、ただのヘタレも部活動に参加しない層には存在するが、部活動参加「服従」者もまた同様に困りもの。部活動参加はその人材の能力とさほどの因果を持っていないと考えるべきだろう。

 それでも部活動を続けたいという風潮は根強い。その裏に「部活動ビジネス(全員が学校規定の体操服以外のユニフォームを着ないと、つまり改めて購入しないと競技団体に参加させない、ギャラ最小で視聴率の稼げるコンテンツが手に入るなど)」があるのを勘ぐってしまうのは私だけか。