「草原の実験」を観る2022年08月24日 00:10

 「草原の実験」を観る。2014年のロシア映画。アレクサンドル・コット監督作品。

 なにせ前編セリフなし。全くない。字幕の必要もない。96分、これで保たせる力技がすごい。それでも話はわかる。ベタベタと字幕を張りまくり、ぎゃあぎゃあと絶え間なく喋り続けるどこぞの国の映像作品群との格差は歴然。

 音がないわけではない。ちゃんと風の音、機械の音、自然音は流れる。地平線の続く平原。そこに住む父と娘。父がなんで生計を立てているのかは定かではないし、作品の中で明示されてもいない。そして娘。とんでもなく美人。毎日、質素な家財道具とラジオぐらいしかない家で静かに暮らし、父と古いトラックで平原の分かれ道まで送ってもらう。父は左に、娘は右に。どうやら幼馴染らしい若い男が馬に乗って彼女を学校らしいところに連れて行く。だが、そこには彼女しかいない。

 そんな平原の一軒家に、よそからやってきたちょっとチャラめの若者。娘に一目惚れした様子。彼女の写真を取り、夜彼女の家に行って彼女の写真のスライドを見せる。娘もまんざらでもない様子。

 そんなある日、父親がフラフラになって帰宅。そしてその夜、雨の中で父親が家の外に軍人から連れ出されて…

 不穏なのはこの父親の一件。だが、その一幕が一段落すると、ストーリーはよくありがちな青春三角関係(娘と幼馴染とよそ者イケメン男)へ。そして…

 原題はИспытание、英題はTest。問題はこの原題(もちろん邦題の「実験」も)である。

 こういう映画を作る国の国民がいただく政治的指導者の言動を考えると、背筋を冷たいものが走る。