お風呂でラジオ2023年06月18日 16:33

 入浴中に音楽やラジオが聞きたい。家族に以前から言われていたが、まずはスピーカーの問題が、そしてどうやってラジオを組み込むかと考えていた。鉄筋入りの家では電波が弱くてあまりたくさんの局が聞けない。

 ネットラジオとしてPCを使うのは論外、スマホやタブレットももちろんだめ。浴室の湿度を考えるとリスキーすぎる。

 raspberry pi zeroあたりをコマンドラインで使って、となると、やはりVolumioが簡単だ。4では発熱問題があって、仕掛けが大げさになりそうだ。

 あとは出力…Bluetooth出力ならVolumioは有料会員になる必要がある…では、Raspberry pi OSで行くか…悩ましいところである。


「Captain Fingers」を聴く2023年05月28日 18:00

 リー・リトナーのソロ2作めのアルバム、「Captain Fingers」を聴く。

 先日、最近見つけた中古レコード店で見つけたアナログ盤。帯がボロボロになっていたおかげで格安で購入できた。店員さんが心配そうに声をかけてくれたが、なに、板さえちゃんとしていれば問題なし。帯はなくても構わない。

 A面にかなりのプチプチノイズ。中古LPにはありがち。B面はうってかわってきれいな再生なので、A面は3回再生。3回目は45回転で。プチプチノイズの正体は音溝にこびりついている汚れなので、手っ取り早く軽減するには再生するのが一番。昔、LPが現役だった頃は新品の最初の演奏はノイズが多いので、録音するなら2回めの再生がベストだったが、あれも剥離剤が音溝にへばりついていてノイズを発生させていたから。試しにプチプチノイズの出るアナログ盤を再生したあとの(もちろん片面)レコード針のスタイラスにはガッチリゴミがついていることが多い。

 演奏は申し分ない。さすが名盤と言われるだけのことはある。ギタープレイの爽快さ、かっこよさったらない。フュージョンと後に呼ばれ、低い評価がくだされるようになるジャンルだが、その初期であるこの作品にはそんな低評価は当てはまらない。というより、今のジャズはフュージョンも通り越して様々なジャンルの混交音楽になっている。「All that jazz」とは「あれもこれも」の意味だが、文字通りそんなジャンルになっている。フュージョンというジャンルは廃れたのではなく、それ自体がJazzになっていて、もはや名前をつける意味が亡くなっているのだろうと思う。

 アナログを聴く儀式、そして片面が30分未満という物理制限も丁度いい。ゆったり座って菊には最適だ。

「レコード芸術」休刊2023年04月03日 21:38

 「レコード芸術」が7月で休刊となる。

 確かに、ここ数年そういう予感はあった。アカデミックな読み物や海外からの寄稿がなくなって久しく、名物連載も多く終わり、広告も激減、そしてなにより…薄くなった。

 海外版と国内盤に別れたレコード評も現実とはズレ始めていたし、もはやレコード(というよりCDだ)を購入する術は地方にはほぼ皆無、大都市圏でも減少中。実際に取り上げられたCDをオンラインで購入しようとしても、サブスクの配信のみということも少なくなかった。

 配信についても記事はわずかながらあったが、iTuneに偏った記事で、少なくともiTuneを使わない私にはほぼ無意味。オーディオ機器の記事も、だんだん現実味のない価格の製品ばかりが取り上げられるようになり、読者にとっては雲の上の仙人の話のようにもなっていった。今の給与体系や経済状況で一台100万円を超えた機械を複数購入してやっと音楽が聴けるようなシステムを購入できる(あるいは購入の希望が現実味をわずかでも持てる)層以外には魅力ある記事とは言えない(第一、すでにハイレゾ音源をわずか数万円でこの雑誌が紹介する製品とさほど遜色ないレベルで再生できるプレーヤーが存在することはネット上で知れ渡っている)。

 なにより「クラシック音楽」が教養ではなく、単なる消費財と化してしまったこと、オーケストラが自前で配信を始め、音源も販売し始めたことが、この雑誌のスタンスを大きく崩す原因ともなった。サブスクでどこにいても安価にお試し視聴ができて、オーケストラやミュージシャンが直接自分たちの音楽を発信する時代に、パッケージ音楽のみに絞った雑誌の存在はやはりニーズに合わなくなっているのだろう。

 CDやアナログのジャケットに取り上げられた名画と音楽との関連に注目した連載や、ウィーンでの生活を扱ったエッセイなど、面白い連載も多かった。寂しいが、時代の変化に対応できなかったということだろう。

ショルティのリング2023年03月25日 21:15

 ショルティのリング、CD全15枚。随分昔に大枚はたいて、当時販売されていたPureGold CDで買った。とはいえ、1曲でも約4時間、全部聞けば15時間超えにもなろうかという大作、当然しょっちゅう聴くわけでもなく、映像なしなので集中力も保たない。気がつけばラックの隅に埋もれているも同然の状態。

 これを全部リッピングしてflacファイルに圧縮し、HDDにおさめてしまおうと考えたのだが、どうやらこのPureGold CDが我が家のPCのディスクドライブと相性が悪いようで、各CDの2トラック目前後に集中的に読み取りエラーが起きてしまっている。

 結局、エラー確認のためには全曲聞き直しということになった。やっと全曲の2/3ほどまで確認終了といったところ。データ化してありがたいのは、なんと言ってもディスク収録のために幕とは関係なく切れ目があった部分も、ギャップレス再生で連続して聴けるということ。きちんと幕と幕の間の空白で一息つける。逆に強制的にディスクエンドで一息つけないのは辛いところかもしれない。

 それにしても、こんなに荒々しい演奏だったのかと改めて再認識しているところだ。ブリュンヒルデを追うウォータンのくだりや、ノートゥングを鍛えるジーグフリードの槌音のワイルドなリズム、ファフナーとジーグフリードの戦闘の荒々しさ。ショルティらしさといえばうなずけるところもあるが、迫力満点である。

 ただしこの迫力はRaspebrry-Pi〜Volumio〜HiFiberry DAC PROのI2C接続で再生した場合。PCからアクセスして、ubuntu〜DeadBeef〜アナログ出力ではおとなしく、丸くなってしまう。こういったあたり、デジタル音源も再生装置によって印象が変わるのが面白い。

 チェックのつもりで聞き流しながら、ながら仕事を決め込むつもりが、耳を掴まれてしまって仕事が手につかない。これは贅沢な悩みだ。

「Oscar Peterson Trio」の「The Trio」を聴く2023年03月04日 16:15

 「Oscar Peterson Trio」の「The Trio」を聴く。最近見つけた中古レコード店にはじめて入ってアナログレコードを物色したところ、いくらか気になったもののうちの一枚。お値段も手頃だったので購入。

 Oscar Peterson Trioは知っているし、CDも数枚持っているが、このアルバムについての予備知識はなし。Live Recordingとあるのが興味を惹いた。1961年、シカゴのジャズ・クラブ「ロンドン・ハウス」での演奏。シカゴなのにロンドンとはまた、混乱しそうなクラブである。

 ベースはレイ・ブラウン、ドラムはエド・シグペン。クラブでのライブなのだから、鹿爪らしい演奏ではなく、ただただ心地よい。三人の演奏テクニックも凄いし、だからといって押し付けがましくない。リラックスして聴くのに最適だし、そういうアルバムがあっていい。

 食器の当たる音や客のざわめきもリアルに聞こえてくる。ジャズクラブでのライブならではの雰囲気も楽しい。アナログ盤なので片面20分少々、両面でも50分弱。これぐらいの長さがゆったりと聴ける適量か。現行のCD盤ではボーナストラックも収録されて70分近くになっているが、そうなると忙しない現代生活では垂れ流しでもしないと聴けない。アナログ時代は長時間連続再生に憧れがあったが、過ぎたるは及ばざるが如しということか。アナログ特有の手作業(儀式?)である、盤面クリーニングやスタイラスクリーニング、そして針落とし、針上げといった行為も、曲を聴くメリハリとして機能しているような気がする。

 それに、中古のアナログLPでもこの音だ。現代のデジタルデータと遜色を感じない。かつてはアナログレコードよりラジオやTV、ダビングしたカセットテープの音質は確実に悪かった。だが、オリジナルのレコードはもともといい音を記録できていたのだろう。現在の技術なら、アナログレコードの再生機能も高音質化されている。手軽に、アナログ記録された音をいい状態で取り出せる環境になって、見直されるのも当然だと思う。