インスタバエの末路2023年02月01日 20:14

 「インスタ映え」に猫も杓子も入れあげて、マスコミも無責任にそれを煽る。誰でもかんたんに社会的承認欲求を得られる(大勢に手軽にほめてもらえる)ということで、「効率的」に自己評価を上げようという輩が増える。裾野が広がれば、当然レベルは低下する。

 かくして「インスタ映え」は「インスタバエ」と揶揄されるまでになってしまった。こうなればもう「駆除」対象と言われても仕方ない。なにせ今や清潔になった日本ではあまり姿を見ない害虫「ハエ」なのだから。

 さすがにハエだけに、最近は外食フランチャイズ店に頻繁に出没しているようだ。「映え」を追うのは人間だが、「ハエ」になってしまってはどうしようもない。衛生管理の観点から、「ハエ」の温床になっているスマホやカメラの飲食店持ち込みが禁止となる風潮が出てくるのではないだろうか。宣伝効果よりも「ハエ」による被害や風評被害のほうが大きいのだから。

麦わらが泣いている2023年01月31日 20:38

 リモートで行われるのは学校の授業や企業活動や会議だけではなかった。特殊詐欺や、挙句の果てには凶悪押し込み強盗事件まで、リモートで行われる世の中だ。

 首謀者は「ルフィ」と名乗ったらしい。もちろんあの「海賊王」になると宣言するキャラクターの名前をいただいたのだろう。本家からすれば青天の霹靂、とんだ迷惑だ。

 しかし翻ってみれば、そんな犯罪に絡め取られる、傀儡のような立場に置かれる人々が現れる背景には、所得格差と貧困、人件費をコストと考え、コストカットこそが経営の鏡と考える風潮がある。貧すれば鈍するという言葉通り、貧困は人の理性を狂わせる。

 異次元のなんだかんだと喧しいが、衣食足りて礼節を知るという言葉もある通り、まず衣食がすべての人に足りる社会を作らねば。それが「異次元」でなければ達成できないのであれば、由々しき事態だ。

「キートンの大列車追跡」を観る2023年01月30日 20:54

 「キートンの大列車追跡」を観る。原題は「The General」、かつては「キートン将軍」「キートンの大列車強盗」とも。「キートン将軍」は明らかに誤訳。「The General」は機関車の名前。「大列車強盗」は当たらずとも遠からず。1926年アメリカ映画。もちろんモノクロ・サイレント。監督はバスター・キートン(マスター・キートンではない。こちらのほうが本家)。

 南北戦争開戦直後。南部の男たちはこぞって軍に志願。キートン扮するジョニー・グレイも志願するが、機関士は重要な仕事なので志願登録を拒否される。拒否の理由が本人も含め誰にも教えられなかったため、グレイは周囲からも面汚しとなじられ、恋人のアナベルからも振られてしまい、さんざんな目にあってしまう。

 それから1年後、寂しく機関士として働くグレイは、北軍のスパイに自分が登場する機関車「The General」を乗っ取られてしまう。機関車奪回のために必死なグレイだが、乗っ取られた機関車が引く貨車には恋人アナベルが囚われていた…

 スラップスティックギャグのお手本のような作品。驚くべきことは、当時の技術から考えれば、機関車は本物でなければならないということだ。速度の遅い時代とはいえ、アクションは文字通り命がけ。ラストには鉄橋もろとも列車が川に転落というシーンもあるが、当然これも実際に橋を崩落させ、列車を落としているとしか考えられない。気合の入れっぷりは桁違い。

 ヒロインのアナベルを演じたマリオン・マックがキュート。だからといって甘い扱いは一切なし。大量の水はぶっかけるわ、グレイが機関車の釜炊きに彼女をこき使うわ、遠慮会釈ない。敵に追われる最中に男も女もないというのもリアルだが、そんな中でもアナベルのちょっとはずれたところがおかしい。

 気合の入りまくったサイレント・コメディ。このあとに続くコメディアンのルーツとも言えるが、命がけを履き違えた笑えないコメディが増えたのは皮肉だろうか。

育休中のリスキリング2023年01月29日 21:15

 育休中のリスキリングを支援したいという与党の提案があったそうだ。

 そういう君たちが「育児」をリスキリングしてはどうだろう。子供が少なくて困っているのなら、子育てスキルぐらい率先して身につけてはどうだろう。育児スキルを持った議員もいないわけではないのだから。

 国政に携わる議員は庶民の生活とは離れたところで働いているなどと、都合のいいところで儒教を持ち出さないでもらいたい。議員は単に国民の票で選ばれただけで、国民に背を向けているようでは議員の資格などない。早くリスキリングして転職を考えたほうがよろしい。国のために育児に邁進する元議員が現れたら、もっと国民も議員に信頼を寄せるだろう。

「火線地帯」を観る2023年01月28日 17:14

 「火線地帯」を観る。1961年、武部弘道監督。「地帯(ライン)」シリーズの第5作であり、最終作でもある。石井輝男は脚本のみで、今回は監督してない。

 「黄線地帯」でカラーになったのに、前作「セクシー地帯」ではまたモノクロ、今作もモノクロだ。制作した新東宝はまもなく倒産という世知辛い事情もあるのかもしれない。

 今回も主人公は吉田輝雄。肝の座ったチンピラ役なのだが、角刈りが似合っていない上に、ワルっぷりもお上品。どこかおっとりは前作同様。

 ヒロインはこのシリーズ皆勤賞の三原葉子。今回はコメディエンヌ的なところは最初だけで、どんどんシリアスになっていく。男を手玉に取るようなイメージではなく、古典的な女性像。容姿も少し丸みが目立って、年増感が強く、ちょっとドロドロした感じだ。作品のテンポも前作までの軽やかでポップな雰囲気が消えていて、推進力は今ひとつ。悪の組織のお約束も、売春組織から今回は拳銃密売と暴力団の縄張り抗争となっているので、このシリーズのポイントだった猥雑で怪しい裏町の風景もあまり見ることができない。

 天知茂が今作復活。黒ずくめで憎めないワル。主人公とのバディものとなっているが、天知の飄々とした演技がなんとかこの作品を重くなりすぎない歯止めのようになっている。ピストル型ライターという古典的なフェイクギミックを久しぶりに見た。

 掉尾を飾るというには少々寂しい最終作。とはいえ、50年代末から60年代の高度成長が始まる街の空気や、お行儀のよい作品では見ることができない、ダークサイドの雰囲気を漂わせる下町、裏町の雰囲気も楽しめるシリーズで、何も考えずに楽しんで見ることができる作品群だった。テーマは性に絡むものが多いが、そのへんは当時らしくさらっと省略して暗示にとどめ、ストーリーを推進する方を優先する演出もいい。今のドラマでも活かしてほしいと感じる。