「汚れなき悪戯」を観る ― 2019年07月16日 23:54
「汚れなき悪戯」を観る。
有名な作品なのに、なかなか縁がなくて観ることができない作品がある。これもそのひとつ。一念発起してやっと観ることができた。そういえば、主題歌「マルセリーノの歌」は有名だが、いまはあまり耳にしなくなった。
ストーリーはキリストの奇跡譚のひとつと言えばそれまでだが、冒頭、三人の修道士が崩壊した貴族の屋敷を修道院に再建しようとするシーン、村人がそれを見て笑い、修道士がその村人に何を笑っているのか、何が望みかを尋ねると、村人たちは「手伝いたい」と一言。この相互扶助のスタンスの清々しいこと。このシーンの他にも、宗教を離れて人間の善意の普遍性そのものが随所に描写されている。だからこそ名作として世界中に愛されているとも言える。
数年後、12人に増えた修道士(12使徒と同じ数!)のもとに、生まれたばかりの捨子。右往左往しながらもこの子を育て、生みの親や里親を探そうとする修道士たち。だが村は貧しく、そして欲にまみれた権力者も現れる。修道士たちは捨て子を育て、やがてマルセリーノと命名された捨子は5歳に。
5歳児とくれば、われわれにとって馴染み深いのはもちろん「のはらしんのすけ」ということになるだろう。マルセリーノも本質的には同じ。良い子なのだが、悪戯が時として大きな迷惑を引き起こすことになる。まるで善良な村人のなかに、欲に溺れた男が現れるように。
神の現前によって幕が引かれるのだが、マルセリーノとともに村もまた浄化されたということなのだろう。そしてその話は、病気で床に伏せるまだ幼い娘とその両親の前で、名もない修道士から語られている。その意味もまた明白だろう。
マルセリーノは、全ての子供、母を求める全ての人間の道標であり、この国で言う「地蔵尊」のような存在だったのではないだろうか。長く内乱と独裁の続いたスペインでは、このような祈りが強く求められていたのではなかろうか。それが深読みでなければよいが。
有名な作品なのに、なかなか縁がなくて観ることができない作品がある。これもそのひとつ。一念発起してやっと観ることができた。そういえば、主題歌「マルセリーノの歌」は有名だが、いまはあまり耳にしなくなった。
ストーリーはキリストの奇跡譚のひとつと言えばそれまでだが、冒頭、三人の修道士が崩壊した貴族の屋敷を修道院に再建しようとするシーン、村人がそれを見て笑い、修道士がその村人に何を笑っているのか、何が望みかを尋ねると、村人たちは「手伝いたい」と一言。この相互扶助のスタンスの清々しいこと。このシーンの他にも、宗教を離れて人間の善意の普遍性そのものが随所に描写されている。だからこそ名作として世界中に愛されているとも言える。
数年後、12人に増えた修道士(12使徒と同じ数!)のもとに、生まれたばかりの捨子。右往左往しながらもこの子を育て、生みの親や里親を探そうとする修道士たち。だが村は貧しく、そして欲にまみれた権力者も現れる。修道士たちは捨て子を育て、やがてマルセリーノと命名された捨子は5歳に。
5歳児とくれば、われわれにとって馴染み深いのはもちろん「のはらしんのすけ」ということになるだろう。マルセリーノも本質的には同じ。良い子なのだが、悪戯が時として大きな迷惑を引き起こすことになる。まるで善良な村人のなかに、欲に溺れた男が現れるように。
神の現前によって幕が引かれるのだが、マルセリーノとともに村もまた浄化されたということなのだろう。そしてその話は、病気で床に伏せるまだ幼い娘とその両親の前で、名もない修道士から語られている。その意味もまた明白だろう。
マルセリーノは、全ての子供、母を求める全ての人間の道標であり、この国で言う「地蔵尊」のような存在だったのではないだろうか。長く内乱と独裁の続いたスペインでは、このような祈りが強く求められていたのではなかろうか。それが深読みでなければよいが。
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