「ミッドナイト・イン・パリ」を観る2019年11月24日 20:32

 「ミッドナイト・イン・パリ」を観る。

 ウディ・アレンのコメディで、現実から逃避する話と言えば「カイロの紫のバラ」が思い浮かぶ。あれは映画の世界から飛び出した男と、その役を演じた役者と、映画にしか救いを求められない女との三角関係的な作品だった。そしてラストのなんと悲しいことか。

 今回の主人公はシナリオライターの男性ギル。金持ちの婚約者とその家族とも曲がりなりにも付き合っていられる程度の収入と成功が得られている、つまり売れているわけだが、実は長編小説を書こうと四苦八苦している状態。雨のパリが大好きな彼は、実は婚約者ともその家族とも趣味が合わない。婚約者の知り合いのスノビッシュな学者とも反りが合わない。それでも婚約者との関係を保とうとしている。

 そんな彼がふとパリの裏通り、深夜12時に、クラシックなプジョーと出会い、それに乗せられ、なんとジャン・コクトー主催のパーティに連れて行かれ、フィッツジェラルド夫妻やコール・ポーター、はてはヘミングウェイとも出会ってしまう。彼らはまさにギルのアイドル。こうしてギルは夜な夜なパリの町でクラシック・プジョーを待つことになる。その後もピカソやガートルード・スタイン、ダリ、ルイス・ブニュエルたちと出会い、ピカソの愛人だったアドリアナと出会って恋に落ちてしまう。

 婚約者との三角関係に悩み、創作の壁に悩みながら、彼は20年代パリの文化人サロンで多くを学んでいく。やがてある夜、アドリアナと二人で過ごす夜のパリの街角に、今度は馬車が…

 真夜中のパリがそれぞれの黄金時代へと連れて行く魔法は、「カイロの紫のバラ」という映画の仕掛けと似通っている。ヘミングウェイに小説を読まれ(おそらく私小説的な内容だったのだろう)、現実生活の危機を鋭く指摘されて愕然となったり、さり気なく歴史干渉めいた言動をしてニヤリと笑わせたり。婚約者のピアスを失敬してアドリアナにプレゼントしようとして大騒ぎになるところなどは、信賞必罰のヒチコックも連想してしまった。

 ラストはわずかに希望を抱ける落ちに。雨のパリが嫌いだった婚約者と、新しく出会った雨のパリが最高という女性とがオープニングとエンディングで円環を結ぶ構成は手堅い。

 それにしても、それぞれが夢見る黄金期にタイムスリップするという仕掛けを考えると、ギルを尾行した探偵の夢見ていた黄金期はああいう時代だったのかと、そしてその世界で彼が置かれた結末は、俗物(婚約者の家族の属性を持っている。彼らはネオコンで、アレンはあからさまに嫌っているらしい)の末路としては滑稽であり、可愛そうでもある…ここもまた信賞必罰。

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