ポピュリストとノスタルジー2023年06月06日 21:48

 世の中が大きく変わると、人々は変化に対応するのに疲れてしまう。それは仕方のないことだ。一休みするゆとりもないほど変化が激しいと、人の理性は麻痺してしまう。

 そんなときに心に浮かぶのは、「昔は良かった」という考えだ。今現在がつらいのなら、昔はそうではなかった時期もあったということだ。少なくとも大人の目からみれば、子供時代の自分は社会からも守られているわけで、大人ほどのハードな毎日ではないことが多い。これも当たり前といえば当たり前。

 だが、個人的な過去を通り越して「昔」が「昔の社会」を含意すると話が変わる。ノスタルジーというやつだ。心をリセットするのに有効なノスタルジーも、過ぎれば現実否定、過去への回避につながる。

 世の中が大きく変わっていくのは、過去のパラダイムが崩壊しているからにほかならない。これはエントロピー系の変化であり、二度と元には戻らない(全人類が壊滅的被害を受けて濃厚時代や狩猟時代に逆戻りしない限り)。つまり過去に回避することはもはや不可能なのだ。

 そんな当たり前のこと、そして受け止めねばならない変化の苦しみに耐えられない、あるいは心折れそうになる人々を支えるのではなく、ノスタルジーへの回避を煽り、それによって支持と権力を得ようとする輩がいる。ポピュリストだ。変化の大きい今、ポピュリストは世界中に雨後の筍のように現れている。彼らはノスタルジーという武器を振りかざし、現状の否定と過去への回避を煽る。それがどんな結果になるかはお構いなしだ。彼らが欲しいのは同調者であり、同調者によって支えられる権力だからだ。その構造はカルト集団とさほど変わらない。

 ノスタルジーは劇薬であり、恐るべき麻薬だ。程々にしないと身も心も、そして社会をも蝕む危険性を持っている。せいぜい夕日を眺めて一人で浸ってるぐらいが丁度いい。