もっといい色のメダル2016年09月19日 23:03

 パラリンピックが終了した。日本選手団は多くのメダルを獲得したが、金メダルは獲得できなかったそうだ。

 1位を目指し、それを達成できなかったのは悔しいだろう。だが、勝負は時の運、相手のあることだけに、確実なものではない。取らぬ狸の皮算用ではないが、思い通りにことが運ぶことなど、現実にはほとんどない。それはスポーツでも同じだ。そうでないと、第一面白くないだろう。

 自己反省は当然あるだろうが、1位になれなかった原因の中に、確実に自分ではどうしようもない条件がある。それは受容せざるを得ない。後悔がないゲームなど、優勝した人間にもありえないだろう。後悔がないとは、反省もないことだ。その選手はもう伸びしろのない、終わってしまった選手ということになる。

 自分の勝ち取ったメダルに、もっと胸を張るべきだ。自分ではどうしようもない条件が、その色には反映されている。何色のメダルであっても受容セざるを得ないし、当然何色であってもかけがえのない自分が勝ち取った色なのだから。

 だからこそ「もっといい色のメダル」という言葉が気になる。自分の勝ち取ったメダルの色を、そんなに卑下しているのか。それとも単に欲深いのか。まさか故意に取り組みに手抜きをしたわけではあるまい。