信頼しろと言われても…2021年06月01日 20:45

 オリンピックをどうするか、そろそろ待ったなしである。

 個人的にはスポーツを観ること自体に精神的負担を感じるタチなので、もうオリンピック放送はずいぶん前から見ていない。家人が見ていればリビングから退散するし、新聞の見出しレベルで世の中の話題をチェックする程度(日本人の誰が何メダルを取ったらしい)の知識しかもたない(し、1年も経たないうちにその話題は人の口に登らなくなるので、ほとんど忘れてしまう)。だから、リスクがあるならやめるという選択肢には、何の抵抗もない。

 オリンピックのために何年も頑張った選手に向かってそんなことが言えるのか?という論調の文章を最近目にした。その筆者にとっては残念なことだろうが、リスクが大きい大会になるのなら、何の躊躇もなく「おつかれさん。でも、優先順位は君のほうが下だ。今回は諦めなさい。」と私は絶対に言う。選手の努力の見返りの「犠牲」にされる義理は誰にもない。

 それでも、どこかの御仁は「専門家の意見を聞いているから大丈夫」という。

 その御仁が「学術会議」の「人事権」を行使して「学術経験者(つまり専門家)」を選別している。その基準は示さないままだ。

 どんな「専門家」の意見を聞いているのやら。信頼しろと言われても、そりゃ無理というものだ。10万円積まれても、ワクチン打ってやると言われても、いいポストを用意すると言われても、無理なものは無理。

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