「ハドソン川の奇跡」を観る2022年06月19日 19:08

 「ハドソン川の奇跡」を観る。2016年のアメリカ映画。クリント・イーストウッド監督作品。

 バードストライクで推力を失った航空機が、ニューヨークのハドソン川に緊急着水し、奇跡的に全員性感を果たした2009年の航空機事故とその内幕についての作品。

 優れた判断力と操縦技術を持つベテランパイロットだが、判断ミスを疑われ、公聴会へと召喚され、責任を追求されるという筋書きで、作品内の時間経過は事故当日からわずか数日間、大きなドラマ展開もないのに、それを緊張感を切らさずに96分もたせた手腕は凄い。イーストウッドの監督としての力量の高さ、俳優たちの演技力、そして実在の人物も登用したドキュメンタリータッチが功を奏している。

 一見、事故調査委員会が悪者のようにも見えてしまうが、実際は誰もみな自分の職務を黙々と遂行している誠実な人間だ。だから公聴会でも事実を誠実に受け入れ、受け止めていく。綺麗事ではなく、誰もがみな誠実に仕事をしているからこそのドラマ展開だ。その視点は着水した航空機から乗客を救助に向かう多くの人々の善意にもしっかり反映されている。この作品に憎々しい悪人はいない。

 だが、一方でシミュレーション(AIもそれには含まれていくのだろう)の怖さも。現実はシミュレーションより多くのパラメーターが絡んでいる。シミュレーションはあくまでそのパラメーターを簡略化したモデルであって、もしパラメーターの簡略化が誤りであれば、シミュレートの結果も大きく誤ってしまう。コンピュータやAIの性能が高度化すればするほど、我々はそれを正しいと思い込んでしまいがちだが、本当に必要なパラメーターが入力されているのかは疑問である。

 だが、コンピュータやAIが悪なのではない。彼らも彼らに与えられたパラメーターをもとに、誠実に機能しているだけだ。それがたとえあのHAL9000のような結論を出すにしても。

 誰もがみな誠実に、人の命について考え、ぶつかり、乗り越えていく。この作品はそういう「誠実な人々」の作品といっていいだろう。

「ホーリー・モーターズ」を観る2022年06月24日 20:59

 「ホーリー・モーターズ」を観る。2012年のフランス・ドイツ映画。レオス・カラックス監督作品。

 とにかく不思議な映画である。全編が映画へのオマージュとなっており、カラックス自身の作品のセルフパロディもある。現実と演技との区別もなく、これと言った脈略があるわけでもない。ストーリーを追っていく作品でもないので、観る人を選ぶ作品と言える。お茶の間でファミリーで鑑賞するのに適している作品では決してない。

 地方都市のシネコンでかかるような作品でもないだろう。かつてなら単館系。見巧者やツワモノ共が喜び、俗物がわかったようなふりをしてしたり顔で語り、わからないのが悔しいと、いろいろと学び始める客も現れる、そういった作品だ。ネットで視聴して、理解できないと罵詈雑言をアップしてこき下ろす風潮のある今日では、こういう作品は不遇かもしれない。

 そういえば、中盤、我々にはおなじみのあの曲も登場する。なるほど、カラックスの頭の中に、あの曲とあのキャラクターが結びついているのかと考えるのも面白い。わかるような、でもやっぱりズレているような、不思議な感覚だった。

 なんとなくフェリーニの作品、「81/2」を思い起こしてしまった。座右とまではいかないが、嫌いではない作品。

「クラウド・アトラス」を観る2022年06月28日 20:46

 「クラウド・アトラス」を観る。2012年、ウォシャウスキー姉弟とトム・ティクヴァの監督、ドイツ・アメリカ合作映画。

 19世紀から24世紀までの6つの物語を描き、年代記風にまとめられた作品。俳優はそれぞれの時代で複数の役を演じている。時系列順ではなく、6つの時代がモザイク的に進行するので、世界観を掴むまでは多少我慢も必要な作品。

 冒頭のシーンがラストシーンとつながってこの長い物語は円環を閉じる構成となっている。なにせ172分の大作。ファスト映画ばかりだととてもついていけないだろう。映画も食べ物も、何もかもファストというわけにはいかない。スローはスローの味がある(もちろんファストで十分という映画も、今も昔もたくさんある…ファストどころか、瞬殺ものも…閑話休題)。

 6つの物語に共通するのは、社会や常識、権力(暴力も)に抑圧され、それに反抗し、自由を希求する人間の姿。それぞれ犠牲を払いながら、時には命も失いながら、それでも人は自由を求めてやまない。そういう人間感が全編を貫いている。また、それぞれの舞台となっている社会の常識が(特に過去の物語においては)現代では誤りであり、場合によっては悪となっているという事実も明らかになる。どんなパラダイムも所詮諸行無常、それでも人は自由を、尊厳を求めることをやまない。そういういい意味でのオプティミズムにあふれている。

 3時間、劇場でも座るのが(そしてトイレも)辛い時間だ。自宅ならもっとくつろげるのだろうが、世知辛い日常生活の空間では、現代、3時間のゆったりとした時間は贅沢となってしまったのかもしれない。映画館は時空間をまるごと買える希少な場所だが、それを消費するにも体力が必要なのは寂しい。