効率2023年07月16日 19:57

 効率、というより「〜パフォーマンス」、または「〜パ」などと呼ばれていることについて。

 コスパは、貧しい消費者には福音ではある。だが、これも度をすぎると困りものだ。ものには適正価格というものがあるのだから、それを割り込むと「コスパ」ではなく「出血」となる。むりに「出血」しようとなると、「誰に出血させるか」という問題が出てくる。当然、弱者から搾取ということにしかならない。これがろくな結果を産まないこと、絶対に長持ちしないことは、ここ一世紀の歴史を学べばかんたんにわかる。

 タイパもなんとも世知辛い。ケチって節約した時間を何に使うのだろう。もちろん「遊び」に使うべきだが、タイパなどということを煽っている連中は「遊び」ではなく(できるなら無賃)「労働」に振り分けてほしくて仕方ないようだ。ボランティアを否定するわけではないが、それによって「無賃労働力」を手に入れ、「コスパ」よく稼いでいる営利団体の存在は否定できない。行き着く先は「ブラック労働」である。

 それでもみんな「効率」に走り、少しでも低コストで利益を手に入れたい。裏には「いつか企業や国に捨てられる」という暗黙の了解が育ちつつあるのかもしれない。転職が常識の社会では、いつ解雇されるかわからない。年金システムがきしんでいる社会では、金を持っていないと老後に悲惨な目に合わされる。企業だって「ぼやぼやしてたらあっという間に足元を救われて倒産する」という危機感に苛まれている。そんな不安がある限り、効率に血道を上げる風潮に終わりは来ないのではないか。