デジタル棄民2023年09月03日 17:02

 スマホを持っていて、アプリをダウンロードし、インストールして使う。インターネットはもちろん接続してあり、利用可能。世の中はこれが基準になりつつある。

 というが、この国は東京ローカルが全国常識と思い込まされている国だ。若い独身女性がおしゃれを楽しむアパレルショップやカフェなど、日本全国ではごくごく局所的で特異なものにすぎない。

 インターネットもまたしかり。ある関西圏の一都道府県が極端にインターネット整備が遅れている(それは高齢化、過疎化が進み、ユーザーニーズが少ないということで、基本的に営利私企業となっている某通信会社がインフラ整備を後回しにしていたからだが)と判明し、時の首相が怒ったということがかつてあった。インフラ整備が営利私企業に任されている以上、ニーズの高いところにインフラ整備は優先的に行われ、ニーズが少ないところは対費用効果(最近の日本人が三度の飯より好きな「コスパ」だ)の観点から後回し、そして放置となる。

 かく言う我が家も、いつまで経っても光ケーブルの架設が行われなかった。その割には光に契約を更新しろとDMを送りつけてくるというふざけた対応をされた。あまりのことに抗議すると、夜間に明らかにリタイア後に再任用されたと思しき高齢男性からお詫びの電話がかかったが、その内容たるや「県内の大都市でも周辺部ではまだ整備できていないのだから、我慢してくれ」というもの。要は地方都市や地方は後回しなので文句を言うなということだった。

 PCも日本語処理をハードウェアで行う時代があり、日本語版PCはまさにガラパゴス状態。割高で陳腐化の早い製品を言い値で買わざるを得ない状態があった。言語対応をソフトウェアで行えるようになっても国産PCは対応が遅く(全世界共通のハードウェアと、最大日本語使用人口のみにしか意味をなさないハードウェアでは勝ち目もあろうはずもない)、あれこれと奇策を弄してユーザを苦しめた結果、初期インターネットの導入は高額所得者、そして都市部住人に限られた。その余波は今でも残っている。インターネットは都会の金持ちのもので、自分とは関係ないというイメージを持っている地方高齢者は多い。

 TVがネットに繋げますと言ったところで、それはハードウェアが対応していると言うだけの話。インターネットのプロバイダ契約そのものを行っていない高齢者は無視できないほど大勢いる。独居老人の見守りにネットを使う地方公共団体は少なくないが、そもそも高齢独居老人がプロバイダ契約をしている可能性は高くない(というより、たとえ契約していても、終活で契約解除している可能性もある。死後の料金支払いはありえない)。スマホと一緒にプロバイダ契約はするだろうが、それでは大抵はスマホで完結する環境だ。地上波で満足する高齢者に、ネットTVは敷居が高い。まして動画サイトなど。検索など夢のまた夢だ。アプリのインストールなど考えられない。生涯学習学の能力を身に着けさせていないこの国の教育システム(学校を卒業したらもう勉強しなくていいんだから、それまで頑張れ!というのは昭和ではどこでも言われていた話)では、スマホに関わるリテラシー(その多くは外来語由来のカタカナ表記)を学ぶことすらおぼつかない。そして保守的な社会においては、新規なものには興味を持たないことがステータスとなるような現実もある(俺はまだガラケーだ。電話さえできればいいんだからこれで十分だ。スマホはわけがわからんと豪語する高齢者は珍しくない)。

 デジタル棄民を生み出した社会が、その存在すら無視している。その事自体がまさに「棄民」だ。高齢者が生き延びるために学習しなければならないこと、学習のサポートをしなければならないこと。高齢者に媚びて票だけ集めようなどという志の低い政治や地方議会では高齢者をサポートできない。厳しい現実もしっかり提示し、それを乗り越える方策も考えねば。正確な現状把握とその共有、そして現実的な対策。

 何のことはない。処理水問題の対処とよく似ているではないか。