「赤と黒」を観る2023年09月25日 21:52

 「赤と黒」を観る。1954年のフランス映画。監督はクロード・オータン=ララ、主演はジェラール・フィリップ、ダニエル・ダリュー。

 前編・後編で構成される192分の完全版。原作はもちろんスタンダール。職人の子だが、才能があり野心家でもあるジュリアン・ソレルが、ナポレオン失脚後の閉塞した階級制社会で、階級を超え、名声を得るために聖職者を、そして最後には軍人を目指しながら、その激しい性格と自尊心がもとで破滅していく話。

 自意識過剰で社会への不満を溜め込み、追い詰められるとキレて、そのくせ恋に落ちると後先が見えなくなる。カッとなると暴走する。まるで現代の若者そのものだ。これを往年の二枚目俳優ジェラール・フィリップが演じるとなると、そこに知性と気品が備わってくるのがまた不思議だ。彼に入れあげてしまう女も、おかげで不自然な感じがしない。

 映画は小説内世界の映像化という、一種のメタフィクション的構造で作られているが、これはかつての名作文学の映画化ではよく行われていた手法でもある。さすがに3時間超えの作品だけに、昔ながらの中休みがあるのも懐かしい。

 前半よりも後半のほうがややボリューム感に欠けるきらいはあり、現代の感覚からすればテンポもゆったりなのだが、その分観客が考えたり、ハラハラしたりする(要するに今は受けなくなった、観客に適度なストレスを与える手法)楽しみもある。往年の名画、往年の美男・美女俳優をゆったりとした気持ちで楽しむのに最適な作品だし、もちろんそれに値する名画であることは間違いない。

万博2023年09月24日 17:21

 前時代的なイベントだとつくづく思う、万博。

 大昔の夢よもう一度というのかもしれない。そう言えば「太陽の塔」がらみのニュースもかなり聞こえてきた。

 だが、インターネットが普及し、世の中がバーチャルなものであることがすでにバレ始めた現在、「モノ」に引きずられ、「場所」が固定される万博がどれほど機能できるのだろうか。国際放送局ですら送信設備の予算や資源消費量より、インターネットラジオや配信のほうが安価で確実に情報を伝達できるということで廃止の方向に向かっているというのに。

 大阪は町工場のものづくりが特色であることはわかる。だが、それを現地にいかないとわからないという状態では生き残りは難しい。万博はネット以前のパラダイムでしかない。そして、今回の万博にネット以後のパラダイムがあるとは到底思えない(パビリオンの物理的建設など、その最たるものだ。金も手間もかかり、数ヶ月しか使えない浪費物より、メタヴァース会場のほうが現代風だろう)。

 人寄せパンダとしての万博には、もはや魅力がないと言える。どうしても日本、大阪にゆかねば体験できないものが、どうしてわずか数ヶ月の寿命しか持ち得ないというのか。いまの会場建設の実態を見れば、ただのイベントとしても一回性、独自性に欠けると言わざるを得ない。

 単に税金を投入するだけの(そして強引に成功と見せかけるのだろう。ジャニーズ問題を考えれば、今のマスメディアにはその程度の信用しか持てない)コケるイベント。数年前の東京の世界大運動会(このときは海外の「ボッタクリ大魔神」がいたが、今回は誰がそうなのか?)同様、迷惑きわまりない。

地方に住むと…2023年09月23日 15:48

 手術を受けて2週間。検診ということで病院へ。

 緊急手術だったので、検診を受ける病院も大病院。自分の住んでいるところからは、平日なら車で90分以上かかる。JRを使っても、最寄り駅までの距離やダイヤを考えればそれぐらいはかかる。

 幸い経過は順調だったが、地方に住むとこういう体の不調に対応するのもなかなか難しい。高齢化して交通手段が自前で確保できなくなったら、当然医者にも満足にかかれない。公共交通機関など、地方ではほぼ崩壊している。タクシー料金を考えればとてもタクシー利用など考えられない。

 国が豊かになったどころか、むしろ今は昭和前半に逆戻りしているのではないか。地方に住むとそんな感覚に時折襲われる。

軽い議員2023年09月22日 20:39

 発言の軽い議員の報道が頻繁に行われている。

 人権意識の低さと古さを露わにして、避難されると謝罪は型どおりにするものの、「信念は変わらない」と開き直る。そしてその根拠として「支持者が存在する」という。

 社会には変化に対応できるものもいれば、対応できないものもいる。だが、一番たちが悪いのは「変化する気がない」連中だ。その裏には自分自身の権益や権力の保持に固執する浅ましさ、または自分自身が被った不利益を次世代が回避することに対する嫉妬(それは自分自身が受けた不利益に対する憎悪の裏返しだ)がある。

 他者を犠牲にした既得権益が許されたためしはない。必ずそれには血で血を洗う報復が待っている。報復の機を待たずに寿命が尽きる「勝ち逃げ」もないことはないが、深い遺恨が長く残ることになる。憎悪の裏返しの嫉妬はすでに感情的しこりであって、理屈でどうこうすることは難しい。これもまた深い遺恨の残るものだ。

 だからといって遺恨や搾取がいつまでも許されるわけではない、どちらも結局はおぞましい報復以外に何も産まない。

 そういうおぞましさを説くどころか、そのおぞましさに安住するために、おぞましい世界に囚われた人々の支持を貪り、それを根拠に自身のおぞましさに目をつぶる。発言が軽くなるのは当然だし、そういう連中を担ぎ上げる人間が無視できないほど存在する社会全体の貧しさも問題だ。

 議員をバッシングするのは簡単だ。だが、投票所に足を運ぶ人々にもバッシングを受ける議員を支持する人が無視できないほどの数存在することを肝に銘じておかねばならない。また、半数以上の有権者がが投票していないのは、果たしてそういう「軽い(=貧しい)」議員ばかりの選挙に愛想を尽かしているからなのか、それとももっとおぞましいことを考えているのか、それも問題だ。

 そして、この貧しさ、軽さは、この国だけの問題でもなさそうだ。世界が、この国が、遺恨と報復の渦に巻き込まれなければよいのだが。

風通し2023年09月21日 21:51

 車の調子が悪い原因が判明。エンジンに燃料と空気を送り込むパイプのうち、空気を送り込むパイプが経年劣化で汚れを溜め込んでしまい、空気の送り込み量が低下したために、燃焼効率が下がってしまっていたとのこと。風通しが悪くなってエンジンが窒息状態だったらしい。クリーニングすると今度はアイドリングが1500回転ぐらいまで元気に上がるようになったということだ。それはそれで元気が良すぎる気もするが、まあ、エンストしないならいいかとも思う。

 人間の組織も似たようなものだ。いつまでもメンテせずに前例踏襲しているばかりでは、あちこち劣化して風通しが悪くなり、あっというまに機能不全となる。組織も車も、所詮人が作ったもの。同じような原因で同じような結果になるものだと妙に納得。