新年2024年01月01日 10:05

 去年も年末に何やら芸能人の大忘年会が長時間放送されたそうだが、もう何十年も見たことがない。「日本の心」などと大嘘八百のド演歌は悪寒が走るほど嫌いだし、罵詈雑言や薄っぺらい語彙で埋め尽くされたリアル海苔波形の曲もお腹いっぱい。劣化した往年の歌手のライブ放送より、かつての録音音源のほうが上というのもまた事実。いつ出るかわからないお目当てのアーティストのわずか数分のパフォーマンスを待つには、辛い内容が多すぎる。

 年始となれば芸のかけらもない芸人もどきの内輪の新年会があちこちで放送されるのも例年通り。初笑いどころか怒りすら感じてしまう。腐敗しきったスポーツ界が支配するコンテンツなど不愉快千万。そうでなくとも世界は暗い。確かに罵詈雑言を乱れ打ちして四つ打ちトランス状態になって叫びたいような世相ではある。そしてここ数年、ヒットした曲はその後の世相のマイナス面をはっきりと表している。

 だからこそ、年末年始は極力TVに近づくのをやめたい。数日という少しの間ぐらいほんわかした夢にたゆたってもいいではないか。

便利?不幸?2023年11月15日 21:55

 ひょんなことから短期間で2度も入院することになってしまった。

 入院期間は合計で2週間強だが、自宅療養も含めるとトータルで3週間以上の休みをとることになった。とはいえ、少々の仕事は病院からでも自宅からでもネット経由でこなせる。

 これは便利で幸せなことなのか、それとも逆に不幸なことなのか。こちらは仕事を休む罪悪感から少しでも逃れられて好都合と思っていたが、他人からは「病院に入院中にも仕事をするのはいかがなものか」とも言われる。そう言われればたしかにそうだ。

子供の居場所が見えない人々2023年10月19日 16:22

 子供の居場所がない。妙な条例をぶち上げて総スカンを食らう議員が現れたことで、逆にそのことが浮き彫りになっている。

 学童保育の職員が低賃金で集まらず、待機児童ゼロという「仮想現実」をでっち上げるために芋洗い状態の学童保育が横行する。運営側が見ているのは現実ではなく、ゲームのクリア条件ということだ。ゲーム中毒などとどの口が言うことやら。戦争下における人道支援を述べる某国の指導者と同じで、へそが茶を沸かす。

 どこかの首長は不登校は親の責任だと言い放ち、義務教育にいやいや通う子供を努力して後押しするのが保護者だと言っている。よほど義務教育がお嫌いだったのだろう。だから新しい不登校の現実について「学習」し、知識を「更新」する能力も身につけていらっしゃらないらしい。義務教育が悪いのか、それともご本人の学習に対する怠慢なのか。前職が公安系だということは、ますます恐ろしい。某民放ドラマがカリカチュアライズした(有り体に言えば皮肉っておちょくった)公安系ドタバタドラマが生まれるのも宜なるかな。真面目に義務教育を全うして期待される学力を習得した多くの公安系の方々の憤懣はいかばかりのものか。

 世界的にも同様だが、大人の社会というものに子供の居場所はない。その問題点に100年以上も前に気づいた海外諸国は多くの時間を費やして「子供の権利」を研究してきた(そしていまも研究している)。それでも子供は世界中のいたる所で搾取されている。経済的に、政治的に。ミニマムな権力欲と名誉欲で搾取される子どもたちは最近のこの国では「教育虐待」という文脈で表現されている。海外ではどの程度進んでいるかといえば、この国よりは幾分マシだと思われるアメリカで制作された1979年の「クレイマー・クレイマー(原題「ramer vs. Kramer」は法廷闘争を明確に打ち出しているが、邦題の「・」の方がより問題点を広く考えやすい)という映画を見ればわかる通り、社会的に称賛される仕事人間は家庭人としては失格、そして子供は明らかに仕事人間の足かせとして描かれている(もちろんそれが問題だという視点だが)。あれから40年経過したが、あの映画が過去の意味不明な作品ではなく、今でも名作と言われていることを考えれば、簡単に解決できる問題とは言えないだろう。

 「大人」の世界にどっぷり浸かって「大人の社会」というVRゴーグルをはめてゲームに没頭している者に、子供の実態は絶対に見えない。そういう連中を「票」を入れる少数派(投票率は40%程度、その中で過半数51%が票を入れたとすれば、全選挙民に対する実質得票率は100*0.40*0.51=20.4%)が支えている。そして、残り80%が意思表示をする候補もまた「大人」ゲームで勝つことを求められている。異を唱えて候補になるには数百万円の供託金が必要だ。マナ不足ではゲームに参加もできない。かつてこんなゲームにうつつを抜かした結果、国を焼け野原にしたのはどこの国か。負け組の、低所得の、過疎化した地方の現実を見ずに、票の見込み数だけを見るようなことでは、利権の貪り合いとしらけしか生まれない。いまだに喫茶店のテーブルで「名古屋撃ち!」しかしていない連中を、「エルデンリング」やチラズアート、「スイカゲーム」を楽しむ若い層が相手にすると思っているのだろうか。あるいはTVゲームとは無縁の地方高齢者が正しく評価していると思っているのだろうか。そして高齢者も若者も、次第に暴力的な言動をつのらせている現実。YouTuberがゲーム攻略配信で発する暴力的罵詈雑言や、高齢者のカスハラ・パワハラ(困った高齢者はよく「お客様は神様だ(これも物故した某歌手のキャッチフレーズの受け売りに過ぎない)」というが、八百万の神がましますこの国には「貧乏神」も「疫病神」も「死神」もいらっしゃる。「汚客様」と呼ばれているうちはまだマシか)。

 面従腹背は日本人のお家芸だというのがベネディクトの「菊と刀」での主張だが、堪忍袋にもそろそろ限界が来ている。過去の歴史もきちんと「いやいや通わされた」義務教育で身に着けていればいいのだが。いや、その「歴史」もしばらく前にVR化されはじめていたような…

神や仏は…2023年10月14日 17:47

 神は自然と似ている。

 人類に多くの恵みを与える一方で、人類をとんでもなく残酷な殺戮・破壊者にもする。

 神(や国)のためにと称して、人としての感情に蓋をして、どれほど多くの人が命を落とし、また奪ったか。仏であっても「僧兵」という戦国時代には無視できない武装僧侶軍団がいたことを考えれば類似点は無視できない。

 神の名のもとに人の財産を剥奪し、人の自由な思考を抑圧し、他者の存在を否定し、殺戮や破壊を正当化する。戦争は常に神(あるいは国)のためのものだ。

 神や仏も、人の頭が生み出したもの。人が生み出した理屈(仮想)の社会をあたかも実態があるかのように見せて他人を支配する。支配する快感は権力の快感そのものにつながる。そして権力の恣意的濫用が始まれば、もうなんでもありだ。

 自然は人類の存在など一顧だにしない。それを擬人化して自分の頭の中の理屈にはめ込もうとする営みが神仏であろう。その時点で自分の世界観を安定させる快感がつきまとうのであれば、すでに危険な兆候はその時点から発生しているとも言える。

 信仰は個人の内面の問題であり、他人がとやかく言う筋合いはないが、それが複数の人間に伝播するのであれば、批判的に受け取らなければならないだろう。宗教関係の人々にはにわかには受け入れがたいかもしれないが、宗教は政治や言論と本質的には同じもので、批判の対象としなくてはいけない。人の頭が生み出したものである以上。

「大人になれ」とはいうものの2023年10月13日 21:18

 青く真っ直ぐな物言いをする若者に対して使われる常套句、「大人になれ」。

 大人になった結果が、自分に都合のいい言い分をまくし立て、自分の失態や恣意的行動と権力欲、自己中心的保身に明け暮れ、権力を盾に己の欲望のままに他者を貪り、わけのわからない詭弁を弄し、都合が悪くなると(下手をすればこの世から)逃げ出す。

 立派な大人もあったものだ。そんな「大人」が作った社会は、どこの国でもすでにガタが来ている。それでも権力を貪りたい大人は「強い国を取り戻す」「美しかった国を取り戻す」と、自分の恣意的欲望を理想とすり替え、同じ欲望を求める連中と徒党を組んでやりたい放題。国や社会がどうなろうと、「大人」は「悪いのは他の連中で自分ではない」と言い訳をする。悪知恵がある分子供のわがままより高等ではある(別の言い方をすればたちが悪い)。

 この国でもそういう「大人」と、その「大人」にしがみついて甘い汁を吸いたい連中がぞろぞろいる。だからそういう「大人」が「票」や「支持」という錦の御旗を振りかざす。いや、この国だけではない。世界中どこでも、これまでもずっとそういう構図は続いている。政界も、芸能界も、またしかり。

 そして、その構図は多くの人々を道連れにして、音を立てて瓦解している。

 焼け野原の瓦礫の山から最初に立ち上がるのは、やはり「大人」か、「大人」の階段に片足をかけた連中か。それともこれまで現れてこなかった人々か。